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世界進出を成功させた芸術家・香取 SMAP時代は「パシリ」だった?

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香取慎吾

 香取慎吾がフランス・ルーブル美術館の敷地内にあるカルーゼル・デュ・ルーヴル シャルル5世ホールで開催していた初の個展『NAKAMA des ARTS』が、10月3日にフィナーレを迎えた。日仏友好160周年を記念して、日本文化紹介事業『ジャポニスム2018』の広報大使を務めていた香取がつかんだ大きな夢。そのクリエイターぶりは、ジャニーズ事務所を退所してわずか1年足らずで、急ピッチで拡充している。

 現在41歳。SMAP時代は、最年少の弟キャラだった。今では草なぎ剛とともに地上波レギュラーはゼロとなったが、舞台やラジオ、SNSを網羅しており、矮小化したイメージはまったくない。

 そんな香取が芸能活動をはじめたのは、1987年。SMAP、さらにはその前身グループだったスケートボーイズでも、唯一の小学生だった。しかしなぜか、元メンバーの森且行(オートレーサー)がいたころの6人だったSMAP黎明期、事務所関係者から“連絡係”を任されていたのは、香取だった。アイドル雑誌のフリーライターは振り返る。

 「ほかのメンバー5人は、中・高校生のお兄ちゃん。当時は携帯電話なんてないため、慎吾さんは一人ひとりの実家に電話にかけて、事務所の人から聞いた翌日の集合場所、時間、持参する物を伝えていったんです。伝達漏れがないように、電話の内容をしっかり録音しておくという用意周到ぶり。お兄さんたちをまとめる才能が、小学生の段階ですでにあったんですね」

 なぜ香取が“パシリ”の大役を担ったのかは、およそ30年がたった今なお不明。気がつけば、SMAPのスケジュールが出ると、事務所スタッフはまず香取に伝えるのが通例となっていた。

 今はもう、“世界の慎吾”。袂を分かった木村拓哉と中居正広はどう思っているのだろうか。
(伊藤由華)

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