先月28日付で所属事務所から「仕事のドタキャンが続き、心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、“制御不能”と判断」という理由で解雇された華原朋美。
「精神的不安定が原因で、これまで3回も芸能活動を休止したことがあったけど、変になったのは小室哲哉と別れてから。不眠症から“クスリ”が手放せなくなってしまったのです」(芸能ライター)
出会いは95年。グラビアアイドルとして人気を博し、当時「遠峯ありさ」と名乗っていた華原に小室が一目ぼれしたのだ。
「ピンときた小室は当時、彼女が所属していた事務所に数千万円の引き抜き料を支払って、自分のところへ連れてきたようです」(音楽ライター)
華原朋美という芸名になるまで、三浦綾香、河合美保、渡辺夏世と3度も改名して辛酸をなめてきた華原にとっても渡りに舟のオファーだったのだ。
「小室は、そのころ港区内のビルにあったスタジオ兼自宅のワンフロアを華原のために借り上げ、家具など日用品などをすべて備えて華原を住まわせたのです。芸名は小室のイニシャルT・Kと本名を組み合わせて華原朋美としたのです」(同)
公私にわたる濃厚な生活がスタートした瞬間だった。
「人目など全然気にせず、いつもイチャイチャ、ベタベタしてました。飛行機で海外へ行くときなど、ファーストクラスで離陸から着陸まで、彼女が小室のヒザの上に乗って“2人の世界”を心行くまで楽しんでいました」(芸能ライター)
しかし、蜜月は3年ほどで崩壊。