これを受けて、堀内氏は7日に初登院し、「監督になった時と同じで、青天のへきれきだが、福祉やスポーツの問題に取り組みたい。20年の東京五輪招致も後押ししたい」と抱負を語った。
堀内氏は10年7月の参議院選挙において、自民党の比例代表で立候補。10万1840票を得て、党内で13位となったが、次点で落選した。
落選後は日本テレビの解説者に戻ったが、世代交代の波に押され、解説の機会は激減していただけに、今回の繰り上げ当選は渡りに船。ただ、議員を続けるためには、3年後に選挙を闘わなければならない。選挙区ではなく、比例代表で出馬するとした場合、同党が堀内氏を名簿順位の上位に据えるとは思えず、3年間限定の“腰掛け”で終わってしまう可能性も十分だ。
堀内氏は65年のドラフト1位で指名され、甲府商から巨人に入団。66年には高卒ルーキーながら、16勝(2敗)、防御率1.39の好成績を収め、最優秀防御率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得。その後、巨人のエースとして君臨し、78年まで実に13年連続で2ケタ勝利をマーク。72年には26勝(9敗)を挙げて、最多勝、沢村賞を受賞。
79年以降、衰えが目立ち、83年のシーズンをもって引退。通算560試合に登板し、203勝139敗6セーブ、防御率3.27の成績を残している。
引退後は巨人のコーチや日本テレビ解説者を務め、04年に巨人の監督に就任。2年間、指揮を執ったが、04年は3位、05年は5位で79年以来の5位に沈んだ。監督としては、133勝144敗7分けで、勝率5割にものっていない。
監督退任後は日本テレビ解説者に戻っていた。
(蔵元英二)