『江の生涯・徳川将軍家御台所の役割』は、わずかな史料と研究資料がベースになっている。著者は研究者だが、「あとがき」で「研究書ではなかなか書けない内容もさらりと書いてしまった」とあるように、推論も交え、江の「実像」を浮かび上がらせることを意図して書かれている。
本書の中では、武士の面目について記された個所が興味深い。
のちに江の義父となる徳川家康は、次女を関東の北条氏に嫁がせていたが、豊臣秀吉がその北条を攻めることになった。北条攻めに参加する大名たちの妻が京都に集められ、秀吉への人質として京に留め置かれたそうだ。
当時、家康の正室・朝日(秀吉の妹)は在京していたが、秀吉は、徳川家とのつながりを深めるため、家康の息子に、自分の養女である「小姫」を嫁がせる婚姻を結んだという。もともと秀吉の庇護下にあった小姫は輿入れすることなく引き続き秀吉のもとで暮らしたのだが、家康はそれで、朝日に加え、小姫という二重の人質を差し出したことになったと解説されていた。
だが、現代の通念に照らし合わせれば、朝日も小姫も、秀吉の家族であり、いくら差し出したといっても人質にはならないのでは、と思える。
しかし、著者は、武士には武士の行動理念があり、家康の息子を人質にとるよりは、朝日や小姫を人質にとるほうが「よほど効果があるといってもよい」と指摘する。「血のつながった息子の命は犠牲にできても、義理のある妻の命は犠牲にしてはならないのである」
本書には、側室とはどのようなポジションだったのかも書かれている。江がその基礎を作り上げたともいわれる江戸城大奥の役割についても言及されている。
武士には武士の理念があったのと同様に、武家社会を生きた女性たちは、現代では必要とされない(あるいは、されるべきではない)発想や思考原理とともに生きていたのかもしれない。
そのうえで、江はどのような生涯をまっとうしたのか。
著者は「歴史好きの女性たちの間で江が憧れの存在の一人になっている」と記している。その著者が浮かび上がらせる江の「実像」は、現代を生きる者の心にも響くだろう。(竹内みちまろ)