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ハロルド・ホルト豪首相失跡の謎(1)

 国の指導者たる総理大臣が、なんの前触れもなく失跡する。それも小さな国ではなく、地理的にも国際政治的にも大きな国の首相が、突如として姿を消してしまう。そんなことが、現代社会において起こりえるのだろうか?

 にわかには信じられないかもしれないが、かつて、現実にそのような事件が発生していたのだ。

 今から48年前の1967年、オーストラリアのホルト首相が海水浴中に姿を消した。そして、大規模な捜索活動にもかかわらず、遺体はおろか遺留品すら発見されなかったのである。ホルト首相の失踪事件は現在もなお解明されておらず、オーストラリア最大のミステリーとして人々の関心を集めている。

 事件の流れを説明すると1967年12月17日、ホルト首相は友人3名とボディガード2名を伴って、メルボルンの南にあるポートフィリップ湾で世界単独周航中のヨットを訪問した。その後、首相は湾口部のシェビオット海岸で海水浴を楽しみたいと希望し(南半球の12月は真夏である)、友人らが止めるのも聞かずに海へ入った。しかし、まもなく首相の姿が波間へ消えたため、友人らは地元の警察へ通報し、警察や沿岸監視隊、軍のダイバーや航空機も動員した大規模な捜索、救難活動が展開されたものの、手がかりすら発見されなかった。

 海水浴ということで、当時の首相が身につけていたのは水着とシュノーケル、防水時計のみで、手がかりが極めて乏しかった。そのうえ、現場のシェビオット海岸は外洋に面して潮流も早く、またサメが出没することなどから、首相は溺死した可能性が極めて高いとされ、捜索は打ち切られたのである。

 だが、長期の政治空白を容認し得なかったという事情があったとはいえ、早くも19日には政府が「死亡したとの推定」を発表した他、政権内部でも次期首相の選出をめぐる動きが活発化した。それに加えて、当時の法律上は問題なかったとはいえ、首相の失跡に関する政府の公式調査はなされず、現地警察の報告書が作成されたのみであった。また、現地のメディアも首相が公私にわたって困難な状況に陥っていて、あたかも自ら死を選んだかのような論調で語る記事もあったという。

 しかし事態の急速な進展から、かえって疑問を抱く人々も少なからず存在しており、政府やメディアの結論とは異なるさまざまな仮説が、長年にわたり唱えられ続けたのである。(続く)

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