3歳春には、500万→GIII・毎日杯→GII・青葉賞と破竹の3連勝。そして、大一番のダービーではメイショウサムソンにクビ差まで迫る2着に善戦したアドマイヤメイン。
しかし、同年12月の香港遠征からスランプに見舞われることになる。香港ヴァーズ(8着)後の有馬記念では9着に惨敗。そして年が明けた2007年も歯車がかみ合わないまま金鯱賞(10着)、宝塚記念(17着)と見せ場すらつくれない状況が続いた。
ただ、唯一の救いはその原因がはっきりしていたこと。陣営にとって一番怖いのは理由なきスランプだ。だが、メインの場合、「香港に遠征後、中1週で有馬記念を使って心身ともに疲弊してしまった。その影響がなかなか抜けなかったんだ」。込山助手は不振の理由についてこう振り返った。
もっとも、そのツケは大きく復調には約1年を要した。しかし、前走のディセンバーSでは4着と久々に地力を見せつけた。
「他馬と激しい先行争いをして道中は2番手以下を20馬身近く引き離して逃げた。まともなら惨敗のパターン。あれでよく粘った」長いトンネルの出口がようやく見えた瞬間だった。
「一時に比べると走る気がだいぶ戻ってきたし、具合もようやく良くなってきた。叩き2戦目の今度はもちろん復活を期待しているよ」これからは前進あるのみ。ライバル・メイショウサムソンを猛追していく。