プロバーテンダーの満面の笑みに迎えられれば、こちらも腹をくくってプロの客にならざるをえない。そういう暗黙の了解が、この店では階段下のちいさな踊り場で取り結ばれ、目に見えぬ強制力としてはたらいている。バーというステージで、客という役を振られて演じるのがいやならば、どこか別なところで飲むのがよろしかろうというわけである。鄙(ひな)にあらざる新宿の、その駅前裏でお店を張るということは、そういうことかと思いを致した。
バックバーには、“店にはみ出たピラミッドの裾”のような石塊が突き出ていて、とりあえずの話題には困らない。ビル自体が、これら巨大礎石を埋め込みながら、建設していったものらしい。同じ設計家による、趣向のよく似た建物が3軒、なぜか池袋西口に偏在していたと聞く。西口サントリーバー、沖縄酒房珊瑚、喫茶店居郷留(オルゴール)であるが、そのいずれもが現在は廃業。巨大な礎石は墓石になっているかもしれない。
ローズウッドのカウンターの中央に案内されると、強烈な既視感に襲われた。わたしはアメリカの現代画家エドワード・ホッパーの絵画「ナイトホークス(NIGHT HAWKS)」の世界にいるのだった。ナイトホークとは、アメリカヨタカのこと。広義には、宵っ張り、一匹狼をあらわす。ヴィム・ヴェンダース監督の「エンド・オブ・バイオレンス」という映画が、絵画版「ナイトホークス」を、実写版「ナイトホークス」に仕立て上げてくれたことがある。ヴェンダース監督の「世界全体はこう動いているが、きみはどうする」という問いかけが、聞こえているのかいないのか、カウンターの男の背中が力無い。わたしがなっていたのはその男である。
バランタインとティーチャーズがサービス価格(200円)だったので、計3杯を炭酸割りでいただく。仕上げに北杜12年(500円)を1杯。これはとても好きな味だった。尋ねたら、キックの強いサントリーの白州をベースにしたブレンドウイスキーということだった。説明は丁寧だった。一人なのでつまみは薬膳ナッツをお願いすると、大きいからハーフサイズ(330円)でいかがかと提案された。提案は理に叶っていた。サービス料は10%。消費税は内税。合計金額は1573円。これでいい客になれなければ、ピラミッドの裾に頭をぶつけたほうがいい。後日、一人ではないときに、お店の自慢のメニューである霜降りビーフや、洋風カニミソバターをいただいたが、味盛り付けともとても結構なものだった。げんに6、7人で談論風発、食事を兼ねて長居する方々も多く見受けられた。知っている人は知っているお店らしいが、知らない人も知ったほうがいい、そんなバーである。
予算1600円。
東京都新宿区新宿3-24-11 セキネビルB1&2