平成9年のいわき平・全日本選抜では後閑信一(群馬)金古将人(福島)を破って優勝。11年の寛仁親王牌も小橋正義(新潟)山田裕仁(岐阜)神山雄一郎らを相手に制覇した。前年の決勝で3着だった恨みを晴らしたのだ。
平成12年は児玉の活躍の年だった。地元地区の高知オールスターを勝ち上がってグランプリ出場権を獲得。立川グランプリでも岡部芳幸―金古将人の福島ラインの後ろから「児玉フレーム」の威力を見せて追い込み勝ち。満員のスタンドを沸かせた。
だが、児玉フレームには問題があった。前に行く脚はつくが、安定感に欠ける。児玉自身も落車が多かった。現在まで71回落車、失格20回を数えている。多くの選手が児玉フレームの話を聞いて作ったものの、横の動きに弱さがあり、児玉自身を除いては乗りこなす選手が少なかった。
児玉は平成18年、いわき平全日本選抜で落車。大怪我を負い、ここ2年半は鳴かず飛ばずの状態だ。最近は切り替えてインを突く児玉らしさが7割方もどっている。あの素晴らしいまくり追い込みが再現される日も近いと期待する。
先輩格では馬場圭一(45期)梨野英人(46期)と特別競輪で活躍する選手も現れた。ともにビッグは獲れなかったが、優参して活躍した。