戦艦ノヴォロシースクを転覆に至らしめた「致命的な不手際」とは、船首を錨で固定したまま船尾から曳航を開始したため、船体がねじれて傾き、転覆したという、信じがたいほど初歩的な失敗だった。なぜそれほどまでに致命的かつ初歩的な不手際が生じたのか、それは全くわからない。事故当時も、船首の錨をつなぎとめる鎖を切断する手はずになっており、作業員が待機していた。しかし、なぜか切断命令が下されないまま曳航作業が始まってしまい、最悪の事態を招いたのである。
ノヴォロシースクが転覆した時、まだ艦内では復旧作業が行われており、他の艦から応援に駆けつけた将兵も含め、数百名が船内に閉じ込められてしまった。信じがたいことだが、転覆が避けられなくなった段階でも、なぜか退艦命令が下されなかったため、いたずらに被害を拡大してしまったのだ。このような大混乱と、信じがたい不手際が重なった結果、戦艦ノヴォロシースクの沈没にともなう犠牲者は609名に達したという(他艦の応援も含む)。
間の悪いことに、事故当時は艦長が休暇で艦を離れていた上、またベテラン乗組員の多くも上陸していた。入れ替わりに海軍士官学校の候補生と新規に配属された水兵たちが乗艦していたが、乗艦したばかりの彼らが事故に際して無力だったのは言うまでもなく、むしろ混乱をもたらした可能性すら否定出来ない。
ともあれ、艦長が不在だったため副長が艦を掌握したものの、事故処理に際しては戦隊(複数の艦から構成される海軍部隊)司令が指揮をとった他、艦隊(戦隊の上級に位置する海軍部隊)司令長官や艦隊参謀長、巡洋艦師団司令、果ては政治部長など、総勢28名を超える高級将校が来艦し、現場であれこれ口を挟んだとされ、まさに船頭多くしての諺そのままの混乱をもたらしたという。
ともあれ、戦艦は沈んでしまった。
もちろん、無様な失態をもたらした幹部の責任は厳しく追求され、爆発の原因についても徹底的な真相の究明が求められたのである。そして、明らかになったのは…。
(続く)