奥地に暮らす狩猟採集民、アスマット族の村で白人をみた者がいるというのだ…。
アスマット族は車輪や鉄器すら知らない狩猟採集民で、好戦的な上に食人の風習を保っていた。ただし、白人を殺害したことはないとされ、マイケル自身もアスマット族の文化や風俗をある程度まで理解していた。そのため、現地のオランダ人などには、もし彼がアスマット族の集落までたどり着いていたなら、むしろ手厚く保護されているのではないかと考える者さえいた。
そのため、ロックフェラー家の人々はマイケル生存の望みを捨てず、特に母親のマリーは私的に調査、救助隊を派遣しようとしていたともされる(実際に調査員をニューギニアへ送ったとの説もある)。しかし、オランダ領ニューギニアはインドネシアが領有権を主張しており、マイケルが消息を絶った直後の1961年12月には西パプア共和国として独立するものの、それに反発したインドネシアが軍事侵攻するなど、現地の状況は混沌を極めていた。結局、住民投票によってインドネシアへの帰属が決まる1969年まで、外国人の立ち入りはほぼ不可能だったと言える。
しかし、情勢が落ち着いた69年にはジャーナリストのミルト・マクリンが現地入りし、マイケルの行方を追うとともに記録映画を撮影したが、その結果は非常に衝撃的だった。マイケルはアスマット族に殺害され、遺体は食べられた可能性が高いというのだ。ただ、殺害に至る経緯などの情報は断片的で、ミルトが撮影したフィルムも2011年に発見、公開されるまではお蔵入りしていた。
しかし、今年の3月には決定版となるドキュメンタリがアメリカで出版され、ついに長年の謎が解き明かされたのではないかとの期待が高まっている。