マイケルはロックフェラー家の一員で、彼の祖母が友人たちと蒐集した美術品でニューヨーク近代美術館を開いたように、自らもコレクションで博物館を開く野望を抱いたとしても、それは十分に実現可能な、いわば「手の届くところにある夢」であった。ただ、マイケルはピーボディ考古学・民族学博物館が調査したダニ族ではなく、より奥地に暮らすアスマット族の呪具を収集しようとしていた。
アスマット族は車輪や鉄器すら知らない狩猟採集民で、好戦的な上に食人の風習を保っていた。ただし、彼等は非常に複雑な言語体系と自然精霊崇拝、そして祖先を祀る儀式といった文化を持っており、アイケルはハーバード在学中から興味を持っていたようだ。また、アスマット族は貨幣経済と無縁で、彼等の呪具は物々交換によってのみ入手可能だった。つまり金銭では買えない品であり、それこそがマイケルの野心を刺激したであろうことは想像に難くなく、特にマイケルはアスマット族の干し首や装飾された頭蓋骨へなみなみならぬ関心をもっていたとされる。
とはいえ、アスマット族は車輪や運搬用の家畜を持たないため、陸路はほぼ皆無に等しく、彼等の居住地域へ向かうためには海岸や河川から船で接近するほかなかった。そのため、アスマット族の呪具を求めたマイケルは、交易品を満載した双胴カヌーで奥地へ向かったのである。しかし、ベチ(Betsj)河の河口付近でカヌーが転覆してしまい、幸いにも怪我などはなかったものの、ガイドの現地人や同行したオランダ人とともに、転覆したカヌーへしがみついているのがやっとという有り様となった。
やがて2人の現地人は助けを求めて岸へ泳ぎ去り、それをみたマイケルは「俺も行けると思う」と言い残し、岸へ泳ぎ始めた。
そして、彼は波間に姿を消した。