マイケルはオランダ領ニューギニア(当時)奥地の狩猟採集民、アスマット族の呪具を求め、地元のガイドやオランダの人類学者とともに3週間かけて1ダースほどの村々を訪れた。だが、ベチ(Betsj)河の河口付近でカヌーが転覆し、なんとか一命は取り留めたものの、カヌーにしがみついて漂うのみとなってしまった。やがて、地元のガイドが助けを求めて岸まで泳ぎ着き、あとは助けを待つばかりとなった。
しかし、それをみたマイケルは、浮き代わりのジェリカン(灯油タンクのような形状の金属容器)を2つ、ベルトで身体へ括りつけると、同行したオランダ人へ「俺も行けると思う」と言い残し、岸へ泳ぎ始めたのである。その時、転覆したカヌーは岸から5〜20キロほど離れていたと考えられている。
翌日、ガイドの現地人が呼んだ救助隊によってオランダの人類学者は助けられたが、マイケルの姿は何処にも見当たらなかった。直ちに大規模な救助活動が開始され、海空から広範囲にわたって捜索された他、やがては米海軍の第7艦隊まで出動してマイケルの姿を追ったが、手がかりすらほとんど見つけられなかった。ただ、マイケルがベルトへ括りつけたジェリカンが、河口から180キロほど離れた岸辺で見つかったのみであった。
ジェリカンの他に手がかりひとつ見つからないまま、転覆事故から1か月ほどで捜索は終了し、やがてオランダ当局はマイケルの死亡を宣言した。オランダ当局は、マイケルが岸まで泳ぎ着けずに溺死したと推測していた。なぜなら、アスマット族は白人を殺さず、友好的に接するため、岸へ泳ぎ着いていたなら助けられていると考えられたのである。
しかし、マイケルは岸まで辿り着いたと考える関係者は少なくなく、情況証拠もあったらしい。やがて、現地を行き来する密輸業者の間で、奇妙な噂が流れ始めた。
アスマット族の村で白人をみた者がいるというのだ…。