国木田独歩が『武蔵野』の中で、「奥の林を訪(おとな)うて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ」と書いたのは現在の東京都杉並区周辺を指してのこと。
その杉並区に「三年坂」と呼ばれる坂がある。場所は区内を横断する善福寺川が台地を避けるため蛇行している辺りのそば。五日市街道から脇に入って少し歩いた所だ。
「三年坂」を上りきった場所に、坂を紹介する碑が建てられている。碑文によると、名前の由来は定かではないが、「三年坂」と呼ばれる坂は全国各地にあり、旧東京市内には6か所。いずれも、地域の境界や、寺院や墓地のそば、もしくは、寺院から見える場所だったという。どの坂にも、この坂で転ぶと3年の寿命になるというような伝承が残されているそうだ。
善福寺川そばの「三年坂」にも、同様のいい伝えがあり、かつては車馬が通ることができないほどの険しさで、そのうえ、がけと森に挟まれた気味の悪さ。
碑文には「人々は坂の往き来に用心が必要だと言うことから三年坂の名をつけたのではないでしょうか」とも記されていた。
また、東京都文京区の本郷台と呼ばれる台地にも「炭団坂(たどんざか)」と呼ばれる坂がある。炭団とは炭から作られた黒い燃料のことだが、「炭団坂」の名前の由来は、坂の周辺に炭団を商売にする者が多かったからというほかに、切り立った急坂のため転げ落ちた者がいたからともいわれている。舗装された現在の「炭団坂」には手すりも設置されている。しかし、かつては、地面がぬかるみになることが多く、雨上がりにこの坂で転げ落ちると、炭団のように泥で真っ黒になったとか。「炭団坂」の上にはかつて坪内逍遙が住み、『小説神髄』を発表した。
「炭団坂」からしばらく歩くと「新坂」がある。旧福山藩主邸へ通じる新しく開かれた坂で、「福山坂」とも呼ばれた。周辺は夏目漱石をはじめ多くの文人が住み、樋口一葉の終えんの地でもある。(竹内みちまろ)