まず、第1回は『NHK紅白歌合戦』のタイトルすら違う。当時は『紅白音楽合戦』と呼ばれており、ラジオで放送した経緯がある。
さらに驚くべきことに、第1回の紅白歌合戦は大晦日ではなく、新年を迎えた1951年1月3日の放送だった。『紅白歌合戦』が大晦日の開催になるのは1953年の第4回から。その結果、1953年は紅白歌合戦が年始と年末に2回放送されることとなった。開催年と年数の数字が合わないのはそのためである。
第1回の紅白歌合戦は紅組、白組各7人の計14人しか出場歌手がおらず放送時間も20時〜21時までの比較的コンパクトな番組であった一方、出演者の熱は非常に強かったよう。『紅白音楽合戦』のタイトル通り、紅組と白組、それぞれのキャプテンが、相手チームの出方を見ながら「今度は誰に何を歌わせるか」を決めていくという、試合性の強いものだったという。
さらに、今となってはとても信じられない話だが、勝利をもぎ取るためには「自分の持ち歌ではなくても歌唱可能」という特別ルールがあった。松島詩子は自分の持ち歌ではなく、当時の流行歌である岡晴夫の『上海の花売娘』を歌っている。
なお、『第1回NHK紅白歌合戦』に関する資料は、音源も写真も何も残っていないという。
これは『紅白音楽合戦』が当初、単発番組であったため「残しておく必要はないだろう」ということで関連資料をひとつも残さなかったことが原因である。
ちなみに、67年前に行われた『第1回NHK紅白歌合戦』でトップバッターを務めたのは、1927年生まれの歌手、菅原都々子である。菅原都々子は現在91歳だが、現役を退いておらず今でも歌謡番組に出演している。