田代氏は原発事故の記者会見に連日出席し、時に脱線し、絶叫調になる質問が動画サイトなどで中継され、ファンも現れるほどであった。「ネイビー通信」は4月に無料ブログ上に開設したものであるが、1日に1000件以上のアクセスがあると称していた。福島原発事故対策本部が会見に参加する記者を事前登録制に変更した時も、田代氏は参加登録が認められた。多くのフリー記者が締め出された中で、田代氏は珍しい存在であった。
ところが、5月2日の対策本部の合同記者会見で田代氏は児童の被曝量許容量を年間20ミリシーベルトに引き上げた政治家を延々と批判し、以後の会見は出入り禁止となった。その後も東京電力単独の記者会見には出席し、原発作業員の調達への暴力団の関与など他の記者が話題にしない際どい追及を続けていた。
良くも悪くも注目を集めた田代氏であるが、その実像は知られていない。田代氏は「ネイビー通信」は3月に立ち上げ、それまでは「水玉白玉」という企業を経営する実業家だったと発表している。「水玉白玉」について公開情報はないが、本人は広告代理業を営んでいたと述べる。
もともと千葉県船橋市に居住していたが、東京電力の会見に連日出席するようになって東京電力本店のある東京都中央区に転居したと説明していた。しかし、日本橋の転居先は引越しの段ボールが積みあがったままと述べ、家には帰らずに東京電力の記者控室で終日調べ物をし、ロビーの椅子で寝てしまうことも多かった。警察発表では田代氏は住所不定、ネットカフェで寝泊まりしていたとされている。
交通費欲しさに車上荒らしをしたとされる田代氏であるが、金銭面でもエピソードがある。本業は実業家であるが、現在は休業して原発事故の報道に専念していると述べていた。昼食代を親しい記者仲間に借りる一方で、時には記者仲間にビールをおごることもあった。貴金属を売却して生活費を工面しているとも話していた。また、逮捕直前の6月19日には「ネイビー通信」にアフィリエイト広告を掲載して収益を上げる構想を語っていた。
他のフリー記者からも「フリー記者のイメージを落とす」と嫌われていた田代氏であったが、そのようなフリー記者を田代氏自身も嫌っていた。「結局のところ、彼らは大手メディアの記者が羨ましく、彼らの立場に接近したいだけではないか」と批判する。
自らを実業家と位置付ける田代氏はジャーナリズム自体も虚業と否定的で、将来的には被災地の旅館などを支援するファンドを立ち上げて復興に貢献する夢を熱く語っていた。
(林田力)