当時、不倫等の事情により親元で育てることのできない子供を、養育費を支払って施設に預けるケースは少なくなかった。寿産院もそのひとつで、経営者の石川みゆき(当時51歳)と夫(55歳)は新聞広告で子供を募集し、子供一人当たり年間4000〜6000円の養育費を受け取っていた。これだけでも、石川夫婦は年収で90万円以上(現在の価値で約3000万円)を得ていたことになるが、、預かった子供の世話をするどころか、満足な食事や衣服も与えずに放置。その結果、多くの乳幼児が衰弱死した。ときには、みゆき本人が子供の口などをおさえつけて窒息死させたこともあったという。こうした虐待によって、判明しているだけでも85人の乳幼児が死亡した。
この事件で、みゆきと夫、さらに助手の女性(25歳)の3人が逮捕された。だが、1948年10月に東京地裁が下した判決は、みゆきに懲役8年、夫が同4年、助手は無罪。幼い命を奪った3人には、あまりに軽すぎる量刑だった。