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巨樹巡り 和泉熊野神社のクロマツ=杉並区

 東京都杉並区にある「高円寺」という地名の由来は、3代将軍徳川家光に起因する。江戸時代初期までは「小沢村」と呼ばれていたが、家光が鷹狩の際、村内の高円寺という寺で休憩を取るようになった。家光は寺をたいそう気に入り、頻繁に訪れるようになった。高円寺の名が知られるようになり、「小沢村」から「高円寺村」へと名称が変わった。現在も、高円寺は、JR高円寺駅付近にある。

 また、高円寺の南に位置する和泉の街には、和泉熊野神社(杉並区)がある。創建は文永4年(1267)、紀州(和歌山県)の熊野三社を勧請したのがはじまり。上杉氏を破り江戸を攻略した相模の戦国大名・北条氏綱によって、大規模な改修が行われた。

 紀州の熊野権現とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社からなる熊野三山にまつられる神々の総称。熊野本宮大社はもともとは熊野川の中州にあったが、山の上に遷された。崇神天皇65年創建と伝わる有数の古社。古来より参詣が絶えず、江戸時代には、「お伊勢参り」と並んで「熊野詣」が庶民の人気を集めた。現在、旧社地には高さで日本一の大鳥居が立てられている。

 熊野本宮大社の主祭神の一柱は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト。スサノオノミコトは地上に数々の樹木を生やしたことから、木の神としても知られている。紀州とは「木州」が転じた言葉という説もある。

 和泉熊野神社境内にも樹木が多い。社殿横のクロマツは、推定樹齢350年以上。このクロマツには、家光が鷹狩(放鷹)のおり手植えしたという伝承が残されている。御神木として、樹皮に黒褐色を帯びた旺盛な姿を見せている。

 和泉熊野神社から少し離れた場所には、境外末社の貴船神社がある。創建は定かではないが、山城国(京都府)の貴船神社を農作雨の神として勧請したことがはじまり。貴船神社境内に池がある。良質の水が湧き、雨乞いを執り行う場所でもあった。和泉村の名称の由来は、ここから起こったと伝わっている。

 現在、和泉周辺は住宅地と成っている。かつては、雑木林が茂る広大な台地であった。和泉熊野神社脇にある「尻割坂(けつはりざか)」は力を入れて投降する急坂で、腰の筋が張るため、そう呼ばれている。(竹内みちまろ)

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