戦国時代、千秋季光という武将が、この【あざ丸】を差して討死しました。その後、この刀を手に入れたのは、美濃の武将・陰山一景。この刀を持って出陣した一景は、牛屋山大日寺の寺内に陣を構えて、床机に腰を掛けていたところ、敵方の城内から矢が飛んできて、その矢が一景の左眼に刺さりました。それを引き抜いたら、鋭い矢がまた飛んできて、今度は右眼を射つぶされたという、なんとも怪奇な事件が起こりました。
それからこの【あざ丸】は、めぐりめぐって丹羽長秀が所有することになりましたが、今度は長秀が眼病を患ってしまったのです。そんな中ある人が、「この刀は眼に因縁がありますので、熱田神宮へ奉納なさった方がよいですよ」と忠告してくれたのです。すぐさま熱田神宮に奉納したところ、眼もすぐによくなったそうです。
そもそもこの【あざ丸】は、平景清という武将が一番最初に所有していた刀ですが、平景清はどういう人物だったのでしょうか? 調べてみると、平安末期の源平合戦で活躍した悪七兵衛と異名を持つほど勇猛な武将。合戦に負けてからどうなったかは、謎だらけの人物でもあります。歌舞伎などで脚色されてしまったせいか、その後は、僧になって断食して亡くなったとか、悔しさのあまり、自分の眼をくりぬいてしまったとか、盲目になってしまったなど、さまざまな伝説が日本各地で残っています。景清寺(新潟県)に景清神社(愛知県)、景清道(滋賀県)に景清塚(茨城県)などたくさんの伝説地があります。ところで、この平景清の屋敷とされる場所は、全国で数箇所残っていますが、あまり知られていない景清屋敷が、愛知県大府市にあります。その景清屋敷跡と伝わる場所は、現在神社になっていて、【芦沢ノ井】という井戸が残されています。地元の伝承では、この井戸で目を洗うと眼病に効くと言われています。屋敷の井戸跡の水は、眼病に効く。しかし、彼の所有していた【あざ丸】は、持つものに眼の災いを招く。良くも悪くも眼に因縁を持った武将・平景清。
そんな平景清が所有していた名刀【あざ丸】は現在、災いを起こすことなく、熱田神宮で大切に保管されていますので、平景清も安らかに眠っていることでしょうね。
※写真は大府市の景清屋敷
(戦国お城ライターAsami 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou