保証や安定はなく、事務所との契約次第では、病気をした瞬間から無収入になる。しかしその分、一攫千金すれば、味わったことのない巨万の富を手に入れられる。
そんな頂点とドン底を体験した芸人は、少なくない。X−GUN・さがね正裕も、そのひとりだ。
今はテレビで観ることがないX−GUNだが、かつてはネプチューン、くりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)らでアイドルユニットを結成。“タモリのボキャブラ天国”(フジテレビ系)シリーズで人気が爆発した。
高級外車に乗って、後輩芸人を引き連れて夜な夜な飲みまわり。道端で1万円札をバラ撒いては、後輩が奪い合う姿を見て楽しんだ。
ところが、“ボキャブラブーム”が去ると、仕事が激減。かつて慕ってくれたくりぃむ・有田哲平やアンタッチャブル・山崎弘也に、生活必需品をねだることが珍しくなくなった。
一念発起して、飲食業界に進出。13年、東京・上野の『ステーキ・ハンバーグ さがね』のオーナーになった。曙が経営していたステーキ店を居抜きで使ったが、あえなく閉店。16年には、高田馬場にプロデュースラーメン店「Sagane麺ya」をオープン。現在は西新宿で『串揚げ焼酎BAR 嵯峨根家』をプロデュースしている。芸人一本では到底食えないため、経営を軌道に乗せようと必死なのだ。
いっぽう、『進め!電波少年』(日本テレビ系)の“ヒッチハイクブーム”でブレイクしたのは、ドロンズ。
90年代後半、“電波少年”の前説から、南北アメリカ縦断ヒッチハイクの旅芸人に大抜てきされたラッキーボーイだ。ゴール後には、2歳のロバ・ロシナンテと日本列島を縦断する旅にも挑戦したが、芸人生命は短かった。
コンビ解散後、ドロンズ石本はデブキャラを生かしてマルチに活躍。11年にはSMAP時代の木村拓哉の連ドラ『南極大陸』(TBS系)に出演し、以降プライベートでもキムタクと親交がある。経営する『馬肉屋 たけし』に、キムタクが女優の松たか子と(仕事で)訪れたことでも有名だ。
そんな馬肉屋がオープンする前年、元相方のドロンズ大島直也は、役者業を続けながら、『ちりとり鍋 大島』を開店させていた。
結婚して、子宝にも恵まれたが、14年に円満離婚。夫婦で切り盛りしていた店を譲渡して、大島は家族と店を同時に失った。現在は、まさかのバイト生活に転じている。
ボキャブラと電波少年。平成初期を代表する有名なバラエティ番組の卒業生は今、必死だ。