『美味しんぼ』のテーマは料理であるが、料理を通してゲスト的な登場人物の抱える悩みを解決する人情物でもある。この巻でも名人を紹介するだけでなく、名人の料理を通して、偶然出会ったゲストが悩みを解決するプロセスを描いている。
このように『美味しんぼ』は人情物のオムニバスをベースとするが、一方で過去には山岡士郎と海原雄山の対立や山岡と栗田ゆう子の恋愛など長編的要素も盛り込み、人気を博した。特に料理版の星一徹とも言うべき雄山のキャラクターはパロディー化されるほど広まった。
オムニバスをベースとしつつ、長編要素を盛り込む手法は作品を長寿化させる一つの方策である。たとえば青山剛昌の『名探偵コナン』でも単発の事件の解決というオムニバスをべースとしつつ、黒の組織の対立という長編的な要素を盛り込む。この名探偵コナンでは黒の組織と決着を付けるに至っていないが、美味しんぼでは山岡と栗田は結ばれ、子どもまでできている。また、山岡と雄山も歴史的な和解を果たした。
それでも作品が続いている点が恐るべきところであるが、長編的要素という目標を失ったせいか、作品が丸くなっている。かつての『美味しんぼ』は俗物や商業主義に毒された料理への痛烈な批判が醍醐味であった。食品添加物や遺伝子組み換え食品、六ヶ所再処理工場の危険性の指摘は大きな話題になった。しかし、この巻では名人や名店をリスペクトするばかりである。
雄山も少しだけ登場するが、理解ある助言者になっている。しかも雄山の口から「プロデューサー」なる横文字まで登場する。商業主義的なフードプロデューサーとは一線を画すものの、同じような表現が使われることが驚きである。
山岡には子ども、雄山には孫ができたために守りに入ってしまったのか。それとも批判対象であっても醜いものを描きたくないという作者の純粋性の表れか。丸くなった作品の行方に注目である。
(林田力)