武蔵野台地は、昔から誰にとっても住みよい土地だったとみえて、まずは旧石器人が住んだ(第四小学校あとの遺跡は店のすぐ横)。連中の舌が正しかった証拠に、おたかの水と称される名水を、いまだに付近の住民は汲んで飲んでいる。時は下って奈良時代。聖武天皇が五穀豊穣・国家鎮護を祈願して、国ごとに国分寺、国分尼寺を建てる(遺跡は店のちょっと先)。ここのご主人を、武蔵野国分寺へ向かわせた訳は、その2つながらのようである。
居酒屋蕎麦の最高峰とも噂される「潮」の蕎麦は懐石風を気取らない。現に女性の1人客がそっと注文し、そっと啜(すす)り、そっと去っていった。酒は、土佐の酔鯨にした。
酔鯨は含むと海の香りがする。スコッチのラフロイグとまではいわないけれど。
品書きのほかに、ご主人が出来ますものを読誦(どくじゅ)する。活きた蛸はどうだとおっしゃるので、肯(がえん)じる。はじめの一切れはレア、最後の一切れはウェルダン。生蛸がそう変化するように湯通しされていた。
雲丹(うに)の豆腐とじはどうだとおっしゃるので肯じる。供されて10秒後から凝固をはじめた熱々の豆腐は、匙が雲丹を発掘して底をさらうまで、淡白でありつづけた。いわれるがままというのもなになので、鯨のはりはり鍋をそう言う。ほうと、顔が言って、奥に消えた。
黒胡椒を振って召し上がれという声を、理性が耳にする前にわたしの口は、お椀にキスしていた。そうして、鯨、汁、菜。ひたすら、鯨、汁、菜。おまけだ、鯨、汁、汁、菜。
台北の故宮博物館所蔵の彫刻“翡翠の白菜”色の十割蕎麦が喉を下っていって、やっとわれに返って問うた。なぜ、ここに?
「15歳から修業に入り、スッポンをしめ、魚をしめ、料理というもののあまりの殺生(せっしょう)に思うところありまして、25歳から仏像を彫り始めました。ごらんください」
鴨居のあちらこちらには、小粒の五百羅漢が並び、天を仰ぎ、舌を突き出し、欠伸をしていた。玄関先には光背を負った仏像もおわした。
身の丈一尺の巡礼は錫丈(しゃくじょう)を握り、擦(す)り切れた草鞋(わらじ)を引きずっていた。
出れば吹くのはびょうびょうたる天平時代の風で、照らすのは煌々たる石器時代の月である。
予算6500円
東京都国分寺市西元町2-18-11