ソロの歌手として、主演俳優としても、いまだノリに乗っている山下は、元NEWSのメンバー。しかし、ソロ志向が強かったため、2011年、8年のグループ生活に別れを告げた。以降は、元SMAPのらつ腕マネージャー飯島氏のもとで、いいビジネスに恵まれつづけた。
ここだけを捉えると、立場に恵まれ、自由奔放なアイドル人生を歩んできたと思われそうだが、あながちそれは、嘘ではない。山下はジャニーズ事務所へ入所直後から、スペシャルお気に入り、ジャニヲタ用語でいう“スペオキ”の座に君臨していたからだ。
そもそも、ジャニーズJr.時代からジャニー喜多川社長に目をかけられていた。そのジャニーさんが、同じくかわいがっていたタッキー&翼・滝沢秀明からも、手厚く扱われていた。愛称・山Pの名付け親は、滝沢。2人は、“相思相愛”だったのだ。
山下がジャニーズ入りしたのは、ドラマで滝沢を観たから。母に履歴書を送ってもらい、合格した。入所後すぐ、Jr.のエースだった滝沢から、「おまえ、かわいいな」と声をかけられ、先輩グループのライブツアーに帯同する際は、いつも面倒を見てもらった。洗濯の仕方や、カーペットに水がこぼれたときの拭き方など、遠征先のホテルでは事細かいことまで教えてもらった。
不慣れなツアー先では、年上Jr.が新人Jr.の身の回りのことを教えてあげるのが鉄則。バスや電車に乗るときは、1人ずつが手をつなぐ。この移動方法も、決まりとしてあった。幼い山下を任されたのは、滝沢。駅ではいつも当たり前のように、ギュッと手をつないでいた。
当時の滝沢の溺愛ぶりは、同じ時代をともにした生田斗真も認めるほど。「俺の息子だ」と自慢めいた口調で紹介されたこともあった。あこがれの滝沢からの寵愛に、山下は天にも昇る思い。「山P、なんでも買ってあげるよ」といわれると、素直に「うん」と答え、「パパって呼べ」といわれると、親子ごっこを楽しんだ。
そんな山下も、今年32歳。ジャニーズ歴ちょうど20年となった今は、「パパ」ではなく、リアルに女性タレントと浮き名を流すようになった。滝沢は、ちょっぴりジェラシーだったりして…。