近藤圭子が歌う「パン売りのロバさん」のメロディーとともに、名古屋市内にパンの移動販売車が姿を見せた。ロバのパン屋さんである。そこへ年配の客たちが駆け寄り、懐かしそうにパンを買い求め、中には涙ぐんで食べている人々もいた。
現在、東海地方で『蒸しパン専門店 ロバのパン屋』が営業されているのは、三重県四日市の一軒のみ。そこで、名古屋の方々にその味を届けようと、新たな後継者・上野喜三郎氏が現れて再開に踏み切った。
ロバのパン屋の正式名称は「(株)ビタミンパン連鎖店本部」という。昭和2年に岐阜県出身の桑原貞吉氏が京都で始めた饅頭と蒸しパンの店がその起源である。販売方法は斬新で、楽器を演奏しながら饅頭を行商するものだった。昭和28年からロバに馬車を引かせて、蓄音機で音楽を流しながらパン売りを始めた。ロバのパンの誕生である。さらに昭和30年、「パン売りのロバさん」の歌が作られ、宣伝曲として使われた。そしてロバの引く馬車に蒸しパンを満載して、町から町へパン売りおじさんが子どもたちに夢と希望を与えて歩いた。
しかし、ロバのパンは昭和35年をピークに衰退していった。日本の高度経済成長期における自動車の飛躍的増加に伴い、馬車での行商が困難になったのだ。また、自動車のクラクションに驚いたロバが暴走し、馬車が横転するという死亡事故が発生し、そのため自動車を導入した行商販売へ変わった。やがて食生活の向上も逆風となり、全国に160店ほどあったロバのパン屋も、次第に姿を消してしまっていた。
そんな中、2010年の名古屋で突然蘇った昭和の味。オールドファンにはたまらなかったに違いない。
(皆月斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou