当時9歳のフランシス・グリフィスと、いとこで15歳のエルシー・ライトの2人が撮影したモノクロ写真には、蝶のような羽を持つ小さな人影がが少女の周りを舞い踊っている姿が、はっきりとおさめられていたのである。
当時、既に多重露光や複数のネガを用いた画像合成による偽心霊写真が数多く出まわっており、当然ながら妖精写真も偽造が強く疑われた。しかし、コナン・ドイルらは専門家の鑑定により偽造ではないことが明らかになったとして譲らず、議論は白熱した。ただ、論争が熱を帯びるにつれて少女らは疲れ果ててしまい、それぞれ結婚して海外へ移住していた。
その後、ドイルがオカルトへ非情に強く傾倒していったこともあって、妖精写真もドイル自身の心霊主義を巡る議論のひとつとして扱われるようになり、ネッシー写真などと同様の定番オカルトエピソードとして語られることはあっても、まじめな考察の対象となる機会は減っていった。しかし、エルシーが1966年に帰国し、新聞が妖精写真を取り上げたことから論争が再燃する。そして、最初の写真が撮影されてから57年後の1974年に、美術史家のフレッド・ゲティングスが1914年発行の絵本「メアリー王女のギフトブック」の図版が撮影された妖精と酷似していると指摘したことから、事態は大きく動き始めた。
結局、エルシーは周囲の人々と相談した結果、本をなぞった妖精の絵を使ったトリックを告白し、撮影から66年後の1983年にはその事実を広く公表したのである。
ただし、エルシーもフランシスも1920年8月に撮影した妖精写真について、最後の1枚はトリックを用いなかったと語った。そして、エルシーとフランシスは、それぞれが最後の写真を撮影したのは自分だとも語ったのである。
既に年老いたエルシーとフランシスが、この期に及んで嘘を重ねるとは考えにくく、彼女たちは真実を語っているであろうと考えられた。そのため、他の4枚はともかく、最後の1枚については、本当に妖精が写っていると考える人も少なくないのだ。
最後の写真におさめられた謎の人影とは、いかなるものであろうか?
(続く)