ドイルはかねてより心霊現象を始めとするスピリチュアリズムに強い関心をいだいており、また心霊の存在を科学的に立証する手段として写真にも大きな期待を寄せていた。実際、彼が1920年に妖精写真に出会う以前から心霊写真家集団「クルー・サークル」とは親交を深めており、また1918に設立された「超常写真研究会」では副会長も務めていた。
心霊写真の歴史は意外と古く、確認されている最古の事例は1861年にアメリカのボストンで撮影された写真とされる。写真の発明が公開されたのは1839年だが、心霊写真にとってより重要なのはガラスネガに像を写す湿式コロジオン技法が1851年に発明されたことであった。技術的な要素は割愛するが、それまでの銀板写真や紙ネガを用いる方法よりも撮影が簡単で、シャープな画像を得られる上、多重露光や撮影後の修正といった写真加工が可能となり、写真家にとっての自由度が大幅に向上したのである。
そして、スピリチュアリズムへの関心が高まっていた19世紀後半の時代背景もあり、降霊術などと組み合わせた心霊写真が続々と撮影、公表されていった。
ドイルが妖精写真を目にした時には、既に心霊写真の存在と真偽に関する論争が半世紀ほど続いており、偽心霊写真の検証についても手法が確立されていた。もちろん、最初に妖精写真を持ち込まれた神智学協会のロンドン支部長はプリントやネガを専門家に鑑定させており、重ねてドイルもコダックなどの専門家に鑑定させている。その結果、いずれの鑑定においても「ネガもプリントも修正を施されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもない」との回答を得たことから、ドイルらは写真が本当に妖精の姿をとらえたと確信したのであった。
しかし、鑑定結果はあくまでも「偽造ではない」ことを示したに過ぎず、写真が妖精の姿を写しているのかどうかは、また別の問題であった。黒ではないことは、白であることを意味しないのだが、オカルトに深く傾倒していたドイルは「偽造でなければよし」として、画面に写っている【なにか】が「妖精ではない」可能性を無視したのである。
次回は少々寄り道して、初期の心霊写真とその偽造方法を簡単に解説する。
(続く)
*写真イメージ