中居と香取は、今年4月でレギュラーになってちょうど20年。当時、中居は21歳。香取にいたっては、現役高校生だった。ジャニーズアイドルで、最年少。レギュラーメンバーの芸人たちは、表面的には歓迎しながらも、しのぎを削るバラエティ界に、アイドルというだけで参入できたふたりに、いい顔はしなかった。その空気を察知し、委縮したふたりは、袋小路に迷い込んだ。
そこで考えたのが、台本の作成。ふたりは毎週、本番を迎える前に、その日の対話の流れをシミュレーション。流れに沿って、切り返す言葉を何パターンも考えては、ノートに書いた。しかし、この“裏台本”が、生番組で生かされることはほぼなく、毎週生放送を終えるたびに無言。意気消沈して、反省の弁さえ見つからなかった。
ふたりが“いいとも!スランプ”から脱出できていない翌95年、草なぎがレギュラー出演。雄弁ではない草なぎも、やがて同じ迷路に突入した。しかし、3人は徐々に光明を見いだし、『SMAP×SMAP』(同)がスタートする96年あたりからは、MCを任せられる“いいとも!”ファミリーになっていった。
3人にとってタモリは、育ての親のひとり。「好きなことをやっていい」というタモリのスタンスによって、中居はトーク術を磨いて、“紅白”の司会を務められるまでに成長した。香取は大好きなファッションをより奇抜にして、ムック本まで出版した。草なぎはおととし、“いいとも!”メンバーによる『27時間テレビ』が放映された際、100kmマラソンに挑戦。タモリへの恩返しの気持ちで奮闘し、見事に完走した。
SMAPと“いいとも!”の20年は、SMAPをマルチタレントにのし上げた20年だった。この財産=タモリは、永遠だ。