南原というと、1985年に同級生だった相方の内村光良とコンビを結成。86年の『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)への出演により一躍名を知らしめた。以後、お笑い界をリードする「お笑い第三世代」の代表格として第一線を走り続けた。
また、南原はお笑い界だけにとどまらず、2003年から落語に、06年からは狂言と古典芸能に挑戦し、活動の幅を広げている。バラエティ番組への出演のほか、スポーツキャスター、記者としても活躍し、マルチな才能を発揮している。
私生活では、1993年にスタイリストの女性と結婚。05年3月に待望の男児が誕生し、1児の父親である。夫婦は、子宝に恵まれるまで12年もの歳月を要した。子供を欲しがる夫婦にとっては辛く険しい道のりだったに違いない。だが、その道中、南原は不倫疑惑を報じられている。
アイドルグループ少女隊のメンバーとして1990年に台湾でデビューしたタレントのビビアン・スーが、95年に日本へ進出した。96年、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(同)へのレギュラー出演がきっかけで大ブレーク。そして、南原とキャイ〜ンの天野ひろゆきとともに番組内ユニット「ブラックビスケッツ」(ブラビ)を97年1月に結成。同年12月にファーストシングル『STAMINA』を発売するとミリオンセラーを記録。一気にスターダムに駆け上がり、98年末の『NHK紅白歌合戦』にも出場を果たした。だが、99年にブラビが活動を停止すると、ビビアンは『ウリナリ』を降板し、活動拠点を台湾に移したのだ。
「99年、ブラビ最後のシングルとなる『Bye-Bye』発売の直前、番組のウリナリ審査委員会が『番組が指定する期間内にブラビが過去に発売したシングル売り上げを下回ったら解散!』とブラビに指令を言い渡したそうです。ですが、『STAMINA』に続いて、98年4月発売した『Timing』は、ダブルミリオンを記録しているだけに、これを上回ることはできず。これにて、ブラビは自然消滅に至ったワケです。しかしその後、周囲から南原とビビアンの親密さが疑われ、ついに一部週刊誌に“不倫疑惑”を報じられたのです」(芸能ライター)
ビビアンは、2000年に日本の芸能界を実質的に引退し、帰国したのだ。
「引退は外反母趾の悪化が理由とされていましたが、真相はやはり南原との不倫だったのではといわれています。すでに南原は妻帯者であり、“ドロ沼の不倫劇”の末にビビアンは後ろ髪を引かれる思いで、半ば強制帰国させられたと聞きました。その後、6年かけて外反母趾を完治させたものの、日本で活動することは許されなかったといいます。10年の時が経ちようやく“禊”を終え、ビビアンは再び日本へ上陸したのでしょう」(前出・同)
南原はビビアンとの噂以降、女性問題の報道はないようだ。一方のビビアンは、南原との別れをバネにさまざまな男性遍歴を重ねた。最終的に“アジアのセレブ”といわれるシンガポールの実業家と2014年2月に結婚し、15年8月に男児を出産した。
2011年3月からスタートした冒頭番組は、南原個人では初となる帯番組。南原は、責任感が強いだけに身辺には細心の注意を払っているという。これには妻も安堵しているだろう。17年8月、『女性セブン』(小学館)は、夫婦水入らずで高級ホテルに宿泊する姿をキャッチ。かつての荒波を乗り越えた夫婦は“理想の夫婦”へと形を変えたようだ。