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不倫を重ね悪女扱い!“略奪愛”という言葉が生まれたきっかけは、松坂慶子?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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松坂慶子

 2020年1月に放送される新春ドラマ特別企画『あしたの家族』(TBS系)制作発表会見が先月29日に東京都内で行われ、出演者の宮崎あおい、瑛太、松坂慶子、松重豊、石井ふく子プロデューサーが登場した。

 本作は『渡る世間は鬼ばかり』でおなじみの石井氏が制作を手掛ける、家族の心温まる物語。主演・宮崎の母親役を務めるのが松坂である。宮崎は、昨年10月に第1子となる男児を出産して以来、初めてのドラマとなり話題は宮崎に集中したようだ。だが一方で、制作発表記者会見のカメラマンの視線は、松坂に向けられたという。

 同ドラマで松坂は、松重と夫婦役を演じる。しかし、松坂の方が松重より11歳も年上にもかかわらず、現役感のあるフェロモンを放ち、松重との年の差を感じさせなかった。若さがあふれ、会見場のカメラマンたちをとりこにさせたようだ。

 松坂というと、中学3年の1967年に『劇団ひまわり』に入団。同年、幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)でテレビ初出演を果たした。71年の映画『夜の診察室』で、主演予定の女優が降板し、代役で映画初主演を飾った。

 1973年のNHK大河ドラマ『国盗り物語』で知名度を上げた松坂は、女優としての才能を開花。79年の映画『配達されない三通の手紙』では体当たりの演技を披露し、トップ女優に躍り出た。同年放送のドラマ『水中花』(TBS系)に主演した際は、妖艶なバニーガール姿を披露。さらに、自身が歌唱した主題歌の『愛の水中花』も大ヒットを収めた。

 そして、74年放送のドラマ『阿蘇の女』(同)で共演した元ウエスタン歌手の故・小坂一也さんと松坂は恋に落ちた。

 だが、小坂さんは松坂と出会うその年の正月に長年連れ添った女優・十朱幸代と内輪の結婚式を済ませたばかりだった。籍を入れない事実婚だったが、小坂さんは十朱の元を去り松坂と暮らし始めた。

 週刊誌などで「奪取愛」という言葉が使われたのは、これが最初だという。すると、松坂の父親は、「付き合いをやめるか、親子との縁を切って結婚するか。どちらもできないなら死ね!」と常軌を逸した怒りを松坂にぶつけたのだ。

 世間から悪女扱いされていた松坂は、断腸の思いで小坂さんとの関係を断ち切ったという。

 その後の松坂は、『蒲田行進曲』、『人生劇場』などの名作映画や、テレビドラマに出演。81年の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を皮切りに数々の名だたる賞を受賞し続け、80年代の顔となった。この頃の松坂は、映画監督の故・深作欣二氏の作品に多く出演していた。

 だが、深作監督との関係は私生活にも波及。当時、深作監督は妻子ある既婚者であり、松坂との関係は不倫であったのだ。

 「松坂が深作監督作品に初出演した際には、『深作監督のおかげで本当の女優になれました』とコメントし、以来2人の関係は業界では公然の秘密となりました。不倫関係は長い間続きましたが、交際中の費用は全て松坂持ちであったようです。あげくには、深作監督の息子の入院費用まで松坂が支払ったとか。これに激怒した松坂の父親が、『娘はあの監督にボロボロにされた』とまで言い切ったそうです。さらに、深作監督の妻で女優の故・中原早苗さんは、『M・Kのせいで深作家がめちゃくちゃになった』と不倫の事実を口外したことでも話題を集めました」(芸能ライター)

 お騒がせな恋愛を繰り返してきた松坂は、1990年にジャズギタリストの高内春彦と結婚したものの、高内との“格差婚”はさまざまな憶測を呼んだ。結婚後は米・ニューヨークに移住し、長女と次女を出産。2児の母親となった。

 2009年には紫綬褒章を受章。女優としてこの上ない評価を得た松坂は、今年で67歳を迎えた。古希に近づく一方で、妖艶なフェロモンはいまだにあふれ出ている。その美しさは、理性を失った過去の大恋愛を糧に作り上げたものに違いないだろう。

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