ご存知の通り、親太朗と親之條の姉はモデルの山田優。2012年3月に結婚した義理の兄となるのは俳優の小栗旬だが、迷惑をかける“弟”たちを可愛がっているようだ。
山田と言うと、2000年に人気雑誌『Can Cam』(小学館)の専属モデルとしてデビュー。活動開始後は、女子ウケするサバサバしたキャラクターと驚異的なスタイルで人気に火がつき、“優OL”という言葉を流行させ、一時代を築き上げた。また、モデル以外にもタレントとしてもブレイクし、数々のCMにも出演。ドラマでは主演をこなすなど、第一線で今なお活躍している。
山田は、同じ沖縄出身で元歌手の安室奈美恵さんが所属していた、沖縄・アクターズスクールの後輩にあたる。安室さんの影響を大きく受けたという山田だが、モデルデビューの前にはタレント活動をしていたことを知る人は少ないだろう。山田は、ヒップホップ・ユニットを結成していたのだが、当時の活動は事務所の経歴からも抹消され、いわば“黒歴史”として処理されているようだ。
山田が同スクールに加入したのは1995年。当時、同スクールは数々のトップアーティストを輩出し、世間から大注目されていた。同スクールで頭角を現した山田は、早くも音楽番組『Music Jump』(NHK BS系)にもレギュラー出演を果たし、期待の星だった。
山田は14歳の時、同スクールのメンバーで結成された3人組ユニットy'z factoryの一員となり、メインボーカルを務めた。同グループはSPEEDの妹分として世に出され注目を集めた。子ども向け番組『おはスタ』(テレビ東京系)に出演していた山田は、会員番号13番の“おはガール”としても活躍した。
やがて山田は、バラエティ番組『THE 夜もヒッパレ』(日本テレビ系)にマンスリーゲストとして出演し、知名度を上げていった。同番組は、そうそうたるメンバーとともに、ヒット曲を歌って踊り、メジャーへの登竜門と言われていた。だが、いつになっても同グループ名が世間に浸透することはなかった。
「同グループはシングル6枚、アルバム1枚をリリースしましたが、全て鳴かず飛ばずの結果を招きました。安室さんを始め、MAXやSPEED、DA PUMPといったスターが誕生した名門スクールでしたが、奇しくも同グループがその歴史を食い止める形となりました。最強の後ろ盾がありながらも、結成からわずか3年、売れないことを理由に同グループは2002年に解散へと追い込まれたのです」(芸能ライター)
山田が所属する公式サイトの経歴には、残念ながら同グループでの活動内容は抹消されている。
「山田は芸能界入りした当初から同じ事務所に所属していますが、同グループ解散後から飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を博し、かつての埋もれ木的な活動を事務所も表に出したくはないのでしょう。ですが、歌とダンスが大好きだった山田は2006年に『REAL YOU』で再び歌手デビューを果たしています」(前出・同)
2016年5月、山田はかつて所属していた同スクールの選りすぐりから成るB.B.WAVESや同グループのメンバーと再会したことを自身のインスタグラムで報告している。「10代を思い出しました」とハッシュタグを添えると、当時を知るコアなファンから反響が寄せられた。
華々しい芸能生活とは裏腹に、プレッシャーに押しつぶされたデビュー時代も存在していた山田。“黒歴史”として扱われる同グループの活動だが、元メンバーとの再会を喜ぶ山田自身は、少なくともそう思っていないのは確かだろう。