その上田氏によると、270万枚を売り上げた《悲しい色やね》の舞台は、「大阪南港」。歌詞冒頭の『にじむ街の灯』は、同南港エリアの「天保山から見る尼崎の灯やね」ということだ。上田氏は、西成にも住んでいたことがある。そして、「弱い人間、敗者の目線のうたを通じて、大阪魂を表現した」のだそう。(asahi.comより)
夜になると少しひっそりする官庁街あたりに佇んだカップルが、堂島川に映る街の中心部の夜景を見ていた〜♪というようなイメージを勝手に持っていたが、まったく違ったようだ。
南港を訪ねてみた。現在の天保山ハーバービレッジまでは、キタからかなり遠いが地下鉄一本。大阪の人にとってのベイエリア、なのだろう。しかし朝のラッシュ時に日経新聞と野村證券のサラリーマンを吐き出すと、もう夕方まで湾岸には誰もいない。(笑)
海遊館に入ったが、エレベータが洒落ているな、と思ったくらいである。WTCコスモタワーも終日人出はガラガラ状態で…“人・モノ・情報がクロスオーバーする”云々は、お題目のようにも思えた。
ただし一転、上田さんもイメージした明石海峡方面の夜景は素晴らしい。さらに『桟橋に停めた車』ならぬ泊まった大阪ベイタワーホテルの46階からも見たが、宝石箱をちりばめたような景色の奥に淡路島や神戸空港が霞む…まさに絶景だ。同ホテル高層階からはキタの街側の夜景も見たことがあったが、明石海峡方面の勝利である。
ベイエリアが変貌しても、大阪の人は時々この夜景を見て、(ぼちぼちいこか…)などと自らをもう一度鼓舞するのかもしれない。
BOROさんの《大阪で生まれた女》
オリジナルバージョンは、34分、18番まで歌詞があるが、大阪の街全体が小さなカップルを包み、女の子は、大阪の女ゆえに大阪の街自体を守ろうと呻吟する。またこの曲は大阪で青春を過ごすすべての若者へ贈る曲でもあるように聞こえる。
「BOROさんの歌は心斎橋のイメージ。お店にも近い四ツ橋通り辺りが青春(の場所)かな」(ラウンジ嬢・23歳)
「豊中市出身なので、豊中市を守りたい(笑)」(アメリカ村のネイルショップ・ギャル店員・19歳)
ただし、両曲に共通するのは、たとえボロボロのカップルをイメージしても、実に画になる、ということだ。手をつなぐ〜くらいでいい♪という最近の大ヒット曲が、ハゲたおじさん同士が恥ずかしそうに手をつないで新宿2丁目の中通りを歩いているのを想像した時一番泣ける(筆者比)のと、実によく似ている。
とりわけ、なぜか大阪人が郷土愛を歌うと、時間も世代も、地域差さえも超える普遍的なパワーが宿ってしまう。
概して西日本の人は、東京よりも先ずは大阪に憧れるから、関西圏を除けば、それ以西の西日本の人中心にこれら大阪の名曲はウケるのだろうか。