大々的にデビューしたように見えて、宇多田の初期のプロモーションはラジオを中心として地味に展開されたことはあまり知られていない。
「宇多田ヒカルは1998年12月に、シングル『Automatic/time will tell』でデビューを果たしますが、その直前の98年10月からラジオ番組『WARNING:HIKKI ATTACK!!』をはじめます。ネット局は北海道のFM NORTH WAVEと九州北部をカバーするCROSS FMの2局のみでした。双方、独立系のFM局であり、あえて聴きづらい環境を作ったといえるでしょう」(音楽ライター)
これは尾崎豊のプロモーション戦略にも通ずるものがある。尾崎もデビュー後、レギュラーラジオ番組『誰かのクラクション』は名古屋の東海ラジオのみでオンエアされた。ファンは雑音混じりの中京圏のラジオ電波に耳を傾けていたのだ。
「さらに、宇多田はデビュー前にクラブ関係者に『Automatic/time will tell』の12インチレコードを少数限定で配布しました。その様子は宇野維正の『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)に詳しいですね。ラジオやクラブといった、メジャーではない場から草の根、口コミでのブレイクをねらったといえるでしょう」(前出・同)
宇多田は今年デビュー20周年を迎える。原点のメディアのひとつであるラジオに回帰した彼女が何を語るのか注目したい。