羽賀といえば、かつては数々の女性タレントと浮き名を流す芸能界ナンバー1のプレイボーイとして名をはせた。なかでも、タレント・梅宮アンナとの交際は芸能史に刻まれる。
2人の交際は1994年頃から始まった。出会いの真相について2019年2月、本サイトで触れている。羽賀が『いいとも青年隊』を卒業した1985年3月、東京・大田区在住の未亡人に沖縄リゾート開発話を持ち掛けて金銭トラブルに発展。当時、救いの手を差し伸べたのが、住専問題で世間を騒がせた“浪速の借金王”S氏だったとしている。
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芸能関係者によれば、「S氏は羽賀のタニマチといわれ、アンナの父で故・梅宮辰夫さんとも“兄弟分”と呼ばれるほど親しい関係だったよう。S氏の会社が米・ハワイでゴルフコンペを開催した際、梅宮さんがアンナを一緒に連れて行ったところ、羽賀と急接近した」とのこと。
だが、梅宮さんは2人の交際に猛反対。その一方で羽賀の必死のアピールが連日報道され「誠意大将軍」と自称し、格好のえじきとなった。2人は、“平成のバカップル“としてワイドショーをにぎわせ続け、1995年にはペアヌード写真集『アンナ 愛の日記』(新潮社)を出版。借金返済のための出版とマスコミ関係者などからはやゆされ、その後もアンナは羽賀の借金の金策に走らされていた。そのかいあって、羽賀は沖縄ではレストラン、ブティック、美容室を経営し、アンナの“ヒモ”として悠々自適な暮らしを送っていた。
ところが1999年2月、2人は破局。2016年3月、ニュースサイト『アサジョ』でアンナが演出家・テリー伊藤氏と対談し、自ら破局の真相を告白している。当時、アンナはある女優と俳優の結婚式に招かれてハワイへ。夫妻のケーキ入刀の時、「夫婦そろっての初めての共同作業」という司会の言葉にアンナはショックを受けたという。
その理由について、アンナは羽賀とあらゆる“共同作業”を経験してきたことで、あえて結婚後に「どんな新鮮なことがあるんだろう」と疑問を抱いたとのこと。次の瞬間、羽賀との将来が一気に見えなくなり翌日、アンナは帰国する羽賀を空港まで車で送り届けるとそれ以降ずっと会わなかったと明かした。
「アンナは、羽賀に何も言わず一緒に住んでいた部屋から家具や荷物を引っ越し業者に運び出してもらったといいます。つまり、2人の破局理由は結婚式の司会の一言で“恋の魔法”が解けたというあっけない結末だったのです」(芸能ライター)
しかし、羽賀がこれで引き下がるわけがない。復縁を訴えワイドショーをジャックしていたのだが、同年7月羽賀は元グラビアアイドル・桜庭あつこ氏とのお泊まりデートを一部報道にスクープされ、同月会見を開いた桜庭氏は交際をあっさりと認めたのだ。
ところが羽賀は後日、マスコミにFAXで交際について真っ向から否定。これにより、知名度の低かった桜庭氏は売名行為などと世間から猛バッシングされた。桜庭氏はその後、羽賀とは音信不通になり、やがて芸能界からフェードアウトしていった。
アンナと別れた時に羽賀の借金は2億4000万円あったと、2019年2月の『週刊実話』(日本ジャーナル出版)が伝えている。これを羽賀は、宝石ビジネスで持ち前のジゴロ体質をいかんなく発揮し、デート商法の手口で女性客に宝石を価格の数十倍の値段で売りつけ、借金をあっという間に返済したようだ。
その後2006年10月、羽賀は元テレビ制作会社社員で数年間身の回りの世話をしていた女性と結婚し、2女をもうけた。しかし翌07年、元プロボクサーで世界チャンピオンの渡辺二郎氏、某暴力団関係者ら3人と共に、恐喝未遂・詐欺罪で実刑判決を下された。さらに2017年1月、資産の差し押さえを免れるために偽装離婚を遂行し、強制執行妨害目的財産譲渡の罪で元夫妻は逮捕に至る。
一方のアンナは2001年6月、一般人男性との結婚と妊娠を発表。翌02年に長女が誕生したが、2003年2月に離婚した。さらに2005年10月には、中日ドラゴンズの監督・立浪和義氏との不倫が『FRIDAY』(講談社)に報じられるなど、波乱に満ちた人生を歩んだ。
生前、梅宮さんは羽賀を“稀代のワル”とののしり、断固としてアンナとの結婚を反対してきた。あれから四半世紀が経ち、羽賀も21日に62歳を迎える。2女の父となった今、羽賀も梅宮さんの悲痛な思いが理解できる立場となったことだろう。冒頭のホストデビューに、アンナは何を思うだろうか。