70年代初めに普及した電卓に対して、一部には「そろばんで十分、電卓を使うと頭が悪くなる」と嫌悪する人がいた。
90年代に普及したパソコンに対しても、高額だし不安定だったのでテクノロジーに不慣れな人たちの中には「こんなものは役に立たない」と否定するが人いた。
同じく90年代に普及した携帯電話も「こんなものを使うヤツはバカだ。公衆電話で十分だ」という人がいた。
漫画界ではスクリーントーンが使われだしたとき「これは手抜きだ」と否定する編集者がいたし、筆者自身、出版界でワープロが一般化してきた時代に「ワープロなんてダメだ。手書き原稿は作者や記者の気迫や気持ちが伝わるが、ワープロだと伝わらない」という編集者がいたのを覚えている。
これらは、いまとなっては信じられないようなエピソードだが、こういった人たちが、たくさんいたことは事実だ。
このように世の中に新しいものが普及していくとき、不安を感じてか否定する人たちが一定数いる。この心理は何だろう?
・新しい機械が出てくると仕事が奪われるという不安がある。
・新しいものはまだ不確実だし不安定で、自分たちにどのような影響を与えるかが、見えてこないため否定する。
・すでに慣れて安住している世界に新しい何かが入って来る不安。それがテクノロジーなら自分が使いこなせるかという不安がある。
・これまで無くても問題なくやってこれたのに、面倒くさい。
といった心理があるようだ。いまならチャットGPTがそれに当たるだろう。5月に広島で行われるG7サミットでは、チャットGPTなど対話型AIの使い方を討議するという。
チャットGPTは、すでに横須賀市で試験導入がはじまった。香川県でも積極的に検討したいとしている。
その一方、鳥取県の平井知事は「重要な政策決定では県庁の職員にチャットGPTの使用は禁止したい」と語っている。
チャットGPTに対し情報漏洩を心配する声もある。また特殊な命令文で命令すると、サイバー犯罪に悪用できるコンピューターウイルスを作成することもわかったという。
数年後、私たちはこの新しいツールを使いこなしているのだろうか? それとも不安は的中してしまうのだろうか?
プロフィール
巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。