情報弱者という言葉がある。略して「情弱」。ぼくはすべての人は情弱であると思っている。もちろん、ある部分の情報や知識はとても豊富かもしれない。しかしこの情報過多の時代、すべての情報を網羅することは不可能だ。人は皆「井の中の蛙」なのだ。
人は、自分を中心に世界を見る動物である。
人は自分が出来ること、自分が知っていることは、他人も出来て知っていて当たり前と思い込む傾向がある。
これは自分が出来ること・知っていることがあると、それを【出来ない・知らない】人を下に見る・バカにする人が出てきやすいということでもある。
例えば「学校の先生は、大学を出てそのまま、また学校で働くわけだから「学校の先生は、学校の世界しか知らない世間知らずだ」という紋切型の意見が出てくる。
「学者バカ」という言葉もそうだ。専門的な知識はあるが、一般常識に欠けている人のことを言うのだが、そう言って学校の先生や大学の先生、あるいは専門家より「自分は世の中を知っているのだ」と、マウントをとりにかかっているわけだ。
そういうと「そうじゃなくて、若い学校の先生はね・・・」という人もいる。ではそういう人の会社にいる若い社員は、自慢するほど世の中を知っているのだろうか?
それとも職を転々と変える人は世間をよく知っている人なのだろうか?
すべての人は世の中の一部しか知らない。それを自覚するべきだろう。我々が知っていることなど、世界のほんの一部であり、それぞれの人の知が、互いに補い合って世界は動いている。だからこそ人はもっと謙虚になったほうがいい。
それが理解できない人がマウントを取りたがる。「マウントをとる」とは、相手よりもポジションが上であると示すために、相手をバカにしたり威圧的な態度をとる人のことで、はたで見ているとひどくみっともない。
前述した「学校の先生は世間知らずだ」という人がそうだ。しかしその人は、どれだけ学校内部の苦労や実状を知っているのだろうか?
ぼくたちは他の業界のことをあまり知らない。自分の業界でさえ、知っているのはほんの一部だけだ。
「井の中の蛙大海を知らず」には続きの言葉がある。「井の中の蛙大海を知らず されと空の深さを知る」というのだ。
井の中の蛙は井の中という狭い世界のことは詳しいだろう。しかし他に深い世界があることを知っている。そんな蛙は、井戸から飛び出したとしても、他にマウントを取るなどといったみっともないことはしないだろう。
プロフィール
巨椋修(おぐらおさむ)
作家、漫画家。22歳で漫画家デビュー、35歳で作家デビュー、42歳で映画監督。社会問題、歴史、宗教、政治、経済についての執筆が多い。
2004年、富山大学講師。 2008~2009年、JR東海新幹線女性運転士・車掌の護身術講師。陽明門護身拳法5段。