そんな「芦毛の魔術師」が新しい地平に踏み込んだのが、99年の札幌記念だった。菊花賞の後は暮れの有馬記念が4着。年が明けて、日経賞は完勝だった。そして迎えた春の天皇賞は、スペシャルウィーク、メジロブライトとの3強再戦となった。
しかし今度は菊のようにうまくいかない。逃げは打ったものの、最後の踏ん張りが利かず3着。スペシャルとメジロの一騎打ちから2馬身半遅れる完敗だった。
これが転機になった。セイウンと同期の95年生まれは、他にもグラスワンダーやエルコンドルパサーと名馬がひしめく。さらに他の世代の強豪とも互角以上の戦いを続けるには、マークが厳しくなる一方の逃げ一辺倒では厳しい。
停滞しかかった現状を打開するため、横山典騎手は札幌記念で思い切った手を打った。いつもなら先頭か2番手にいるはずの1コーナーを何と7番手で回ったのだ。どよめくスタンド。単勝1.4倍という圧倒的支持のほとんどは、胸のすく逃げ切り劇を期待していただろうから、その反応は当然といえた。
しかしセイウンスカイは悠々と後方待機を続けた。再度、スタンドが沸いたのは3コーナー、芦毛の馬体がペースを上げると馬群を外から一気にまくって出たのだ。直線はファレノプシスに追い詰められたが、半馬身封じ込む完勝だった。
見事な変身。だが次の天皇賞秋は本馬場入場で他馬と接触するアクシデントがあり5着。しかも屈腱炎に見舞われ、1年半ぶりだった2001年春の天皇賞は12着と大敗した。追い込み馬としての奥行きをもう少し見たかっただけに、その後の失速は残念でならない。