12日のニュースサイト『女子SPA!』では、「『個性派キャラ』では乗り切れない」などと騒動を指摘。単なる“批判キャラ”では済まされないというが、椎名と言えばこれまで数々の“お騒がせ”で大きな反響を集めてきた。なかでも、“不倫”は“私生活そのもの”ではないだろうか。
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椎名の不貞行為が初めて公になったのは、2000年のこと。妻子ある男性と路上でキスをする現場を報じられたのを皮切りに、ミュージシャン、漫画家、俳優、映像ディレクターといった既婚男性との不倫疑惑が報じられている。そのなかで、故人の死と引き換えに不倫が公になったケースもあった。
2012年12月、歌舞伎俳優・中村勘三郎さんが死去。歌舞伎界への功績と同等に中村さんの華麗なる女性遍歴も注目されたのだが、同月の『週刊新潮』(新潮社)では椎名との手つなぎ写真が公開された。同誌は、2人が深く付き合っていたと報じ、同月の『女性セブン』(小学館)は中村さんにとって“最後の女”とも報じている。
椎名は2007年、中村さんの歌舞伎公演に「玉手箱」という挿入曲を提供。『週刊新潮』によれば、椎名が「勘三郎さん、私は、世界で一番幸せな女です」といったメールを中村さんに送っていたとし、これに中村さんは「俺はこの子が大好きなんだ。もう離したくない」と言って椎名を抱きしめたと、中村さんの知人の証言を掲載している。
一方の『女性セブン』では、中村さんは2010年に患った突発性難聴で闘病生活を送っていた際、しきりに「会いたい」と椎名の名前を繰り返していたという。中村さんの関係者によれば、「もともと椎名さんは『同じ時代に生きててよかった』と語るほどの勘三郎さんのファン」といい、中村さんの公演にも足を運んでいたようだ。
2人は、中村さんが勘三郎の名前を襲名した2005年ごろから親しくなったという。また、中村さんは椎名を「林檎ちゃん」と呼んでかわいがり、同誌は「親しい歌舞伎役者には“恋人”と紹介することもあった」と報じている、また、公演の休憩時間の合間には、椎名が演出家・野田秀樹氏や女優・大竹しのぶといった中村さんの親友にビールを配る気遣いを見せていたようだ。
2012年12月のニュースサイト『サイゾーウーマン』では、『週刊新潮』の手つなぎ写真について「別の週刊誌カメラマン」の証言が掲載。カメラマンは、「実は2008年頃、勘三郎さんが若い女性と連れ添って歩いている写真の存在が、マスコミ関係者の間で話題になったことがありました」と告白。しかし、「女性の素性は割れず、勘三郎さんのことだから、一般人とのお遊びだろうと、片付けられてしまった」と示唆し、「訃報を機に改めて『新潮』が調査を行ったところ、椎名林檎だったことが判明し、この2ショット写真がようやく日の目を見ることになった」と打ち明けた。
これらの報道から、2人の関係は深かったということが伝わってくる。それを裏付けるかのように、椎名は中村さんの葬儀に喪服で弔問し、大きな話題を集めた。
冒頭の騒動について、椎名からのコメントはなく、さらなる批判を集めている。とはいえ、これまでの騒動を“シャウト”してきただけに、今回も難なくクリアできそうだが…。