伊集院は落語家修業を続けつつ、ラジオパーソナリティーとしてタレント活動も開始。当初は師匠に内緒で行っていた。普通ならば破門にされても仕方がないが、円楽さんは伊集院の活動を許したという。伊集院をラジオ番組のオーディションに誘ったのが、同じく円楽さんを師匠に持つ、伊集院の元兄弟子だった放送作家だったことも影響していたのかもしれない。
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だが、伊集院のこうした動きを、大師匠にあたる五代目円楽さん(2009年に死去)は良く思わなかったようだ。五代目円楽さんは『笑点』(日本テレビ系)の楽屋で当時楽太郎を名乗っていた円楽さんに激怒し、「バキ打ち」したという。しかし、円楽さんは「あいつはバカだから全部やらせる方針です」「これは僕の弟子です」と最後まで伊集院を庇ったという。
もともと円楽さんも、五代目円楽さんに弟子入りする際に周囲の抵抗などがあり、カバン持ちをしながら落語家修業を始めた。そのため、落語一本に絞らない伊集院の活動にも理解があったのだろう。
だが伊集院は、やがて落語家を自主廃業してしまう。その理由は、立川談志さん(2011年に死去)が若い頃にやっていた古典落語のテープを聴いた伊集院が「この人には叶わない」とノイローゼになったためと言われる。
そして活動は伊集院光一本に絞られたが、円楽さんとの師弟関係は、円楽さんが伊集院を「休業扱い」にすることで継続した。何より、最近の伊集院は円楽さんと落語二人会を開くなど落語への意欲を見せていた。その最中の訃報は、やはりショックが大きかったのではないだろうか。
記事内の引用について
千原ジュニアのYouTubeより https://www.youtube.com/watch?v=VpWDLS8D-Ss