伊集院と言えば、かつて三遊亭楽太郎(現・6代目三遊亭円楽)に弟子入りし、「三遊亭楽大」と名乗る落語家として活躍。しかし当時、一門に黙ったまま「伊集院光」の芸名でラジオパーソナリティーをしていたことが問題となり、自主廃業という形で落語界から去ることとなった。
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伊集院によれば、落語家とラジオの二重生活で楽太郎らに迷惑をかけたことで、落語家を辞めた後は「都合のいい時だけ、『元々、落語家です』とか『楽太郎の弟子でした』みたいなのを使いたくない」と一時、過去を完全に封印していたという。
そんな中、落語家の立川談春や立川志らくとラジオ番組で共演する機会が訪れた。2人は伊集院の落語家時代を知っており、「あいつ、楽大だよな?」と話題にしていたそうだ。しかし伊集院は当時、落語家時代を封印すると決めていたため、「申し訳ないけど、落語家だったことを伏せてじゃないと仕事は受けられない」と考えていた。
すると、落語家だったことを隠す伊集院に対し、志らくが本番中、「テメェ、いい加減にしろ、この野郎!」とマジギレしたのだとか。さらに、「お前、落語家やってたじゃねぇか!」と問い詰めてきたそうだが、伊集院は本番中ということで焦ってしまい、「落語? それ食えるんすか?」と返答。その結果、ますます志らくを怒らせてしまったようだ。そんな一触即発の状況のまま番組が続き、ギリギリのところで終わったという。
志らくと言えば過去、弟子に対しても激怒したことがある。志らくは19年、自身の主宰する舞台の稽古の見学に弟子が来なかったことで、降格処分を言い渡し騒動に。当時、弟子たちは慌てて謝罪に出向いたそうだが、志らくは「どうせ師匠は優しいから謝れば許してくれると連中はなめている。数年前、同じ騒動が持ち上がった時、破門通達したが皆泣いて詫びたから許してしまった。あの時、破門にしとけばよかった」とツイッターで激怒したのである。
普段コメンテーターなどで活躍し、温厚なイメージもある志らくだが、本業に関しては、声を荒らげることもあるようだ。