7月に発売した同曲からカップリング曲とジャケット写真を変え、装いも新たに新発売。今年いっぱいで歌手活動の休止を発表している氷川にとって、休止前最後のシングルとなる。
>>無期限活動休止発表で引退説が浮上した氷川きよし 孤独を感じていた?<<
カップリングは、Dタイプに女性の情念を歌った「雪女」、Eタイプに対馬海峡を舞台にした「対馬海峡」、Fタイプに氷川の思いを歌詞に投影した「桜のように」を収録。
そのうち、「桜のように」について氷川は「自分自身も、愛があるから歌ってこれたし、愛を伝えたくて歌ってきたんだと、そんないろんな思いや心の中を表現してくださった作品」とコメント。
そして、活動休止発表に伴い大きな決断をしていたことを、発売中の「週刊文春」(文芸春秋)が報じている。
もともと、氷川が〝育ての親〟として慕っていたのが、2012年に急逝した現所属事務所の創業者である長良じゅん(本名・神林義忠)氏だったが、03年3月、長良氏は長男・神林義弘氏に代表職を引継ぎ、自らは長良グループ会長に退いていた。
しかし、同誌によると、氷川は神林氏との関係に苦悶し、年々、確執が深まり氷川は独立を夢見るように。もはや、直接話をするような関係ではなく、お互い代理人弁護士を立て、ギャラの交渉や契約の解消について話し合いを続けて来たという。
そんな中、今年の夏、神林氏が氷川を支えて来た事務所の幹部に対して、一方的に暴行する事件が発生。その事件がきっかけで約10人が会社を去る事態になり、氷川がいっそう独立の意思を固めたというのだ。
「神林氏の独裁・暴君ぶりは有名で、『ギャラが安過ぎる』と氷川は以前から周囲に吹聴してきたが、神林氏は聞く耳を持たなかったが、ついに氷川はキャラ変で〝反乱〟。そして、年内での活動休止を発表したが、すべて独立への布石だったのだろう」(芸能記者)
退社する幹部らの送別会前日の9月29日、氷川は自身のインスタグラムに、《自分で選んだものしか責任なんか取れない。(中略)それがわたしの生き方なの》と投稿。独立に向けた〝決意表明〟だったのかもしれないが、正式な発表が待たれる。