凶器となったのは鉄パイプを使った自作の銃。最初は爆弾を作ろうとしたが技術的な問題で銃を数丁作っていたという。
人の命を奪う銃の材料を容易に調達し、銃を作ることができる事実を知り多くの人が恐怖した。
実は自作銃は昭和の時代にも何度か犯行に使われており、今回の事件に使われた鉄パイプが材料の自作銃は昭和から既に使用されている。
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1981(昭和56)年3月、兵庫県の中学3年の男子生徒が自宅で自作銃を発砲、教師にけがをさせて立てこもったという記録がある。
Aは80日間にわたり中学校に通っていなかった。卒業後は姫路市内の電気会社への就職が内定していたが、卒業式には出席しないつもりだったという。
Aの就職を祝い、卒業式への出席を促そうと、学年主任の教師がAの自宅を訪問することになった。教師はAの友達2人を連れて行った。
だが、どうしても学校へ行きたくなかったAは「ドアを開けたら学校に連れて行かれる」と恐れ、以前からひそかに作っていた自作の銃を構え、教師が自室のドアを開けると同時に発砲したのだ。
この自作銃は長さ21センチの鉄パイプを切り、中に火薬と弾を詰めたもので、発射と同時に「ボーン」という大きな音が住宅街に鳴り響いた。弾は教師の左腕に命中し全治1カ月のけがをした。
その後、引き続き部屋に立てこもったが40分後に地元警察がやってきてAを逮捕。けが人は教師だけで済んだという。
日本では70年代中盤〜80年代初頭にかけてモデルガンが大流行。雑誌などの存在もあり、銃そのものに興味を持つ少年は多かった。簡単に作り出せることから自作銃はひそかに少年たちの間で広まっていたようだ。