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同イベントは沖縄復帰50周年記念に合わせて開催され、会場では照屋が俳優として参加した『おかあの羽衣』(平一紘監督)も上映され、照屋と平監督が作品を振り返るなどトークを行った。沖縄出身の照屋は冒頭、指笛を吹いて登場。会場に集まった子どもたちに「沖縄は祭り好きなので。指笛はみんな出来ます」と沖縄を紹介し、「沖縄は川に普通にグッピーがいます。僕が少年の頃は網でさっとすくったらグッピーが100匹はかかった。熱帯魚ブームで餌は金魚じゃなく、肉食の魚にグッピーをという感じでした」と沖縄で自然に囲まれて暮らしたことを子どもたちに語る。
照屋は「僕らの頃はスッポンを捕まえたら、買ってくれたりするところもあったんです。ハブもお酒の会社が買い取ってくれたりするんです。子どもはさすがに命の危険があるのでやりませんでしたけど」と述べ、「今はネットが当たり前で生まれた子どもたちばかり。人と繋がりたければ携帯ですぐに繋がれる。僕らの世代は待ち合わせの場所で会えなかったり、連絡したいと思っても家に電話しないといけなかった」と照れ臭そうに少年時代を回顧。だが、当時は当時で幸せだったと熱弁する。
ショートフィルムについては「工夫が凝縮された最高の映画がショートフィルム」と持論を展開。この日の上映作についても「撮影が始まる2週間前に左手首を骨折しました」と撮影当時のトラブルを明かし、「監督に『どうしましょう』って言ったら、『手を折ったという設定にしましょう』って。柔軟に対応してくださいました。他のキャストの方に変えるのかなって思っていたら、僕のままでって」と監督に感謝。
共演者には夫婦役を演じた尾野真千子もいたが、「尾野さんは撮影の合間に僕のギプスを叩くんです。危ない人です、あの人」と紹介。フランス語をしゃべる設定の役だったが、これについても「(劇中挑戦した)フランス語が難しかった。覚えようとしても全く頭に入って来ない。何回も喋って、フランス人の方に発音を教えてもらってようやく出来ました」と話していた。
(取材・文:名鹿祥史)