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「なんで今なんだ」はんにゃ川島、衝撃のがん発覚タイミング明かす 体験記『はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー』発売、芸人仲間に強く健康診断を勧める

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はんにゃ・川島ofレジェンド

 はんにゃ・川島ofレジェンドの著書『はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー』(扶桑社)が2月18日に発売された。

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 2014年にのちの妻となる菜月さんが妊娠し、幸せの絶頂が訪れる中、腎臓がんが発覚。本書は、そんな夫婦のやりとりから、病気を隠しての芸人活動、手術後のリハビリ生活、がんを克服した後に感じたこと、さらには相方・金田哲や菜月さんのインタビューなどが収録されている。

 ただのがん体験記ではない、川島目線の“がんとの闘い方”が勉強できる本書出版を記念して、インタビューを行った。

――まずは著書が発売されることについての想いを聞かせてください。

 ご家族、仕事仲間、ご友人が突然がん患者になった場合、どう声をかけたらいいのか分からないという方もいると思うんですよ。本には、“がん患者さんにはこう接したらいいよ”という僕なりの考えを書いていますので、そんなみなさんのハウツー本になればいいなと思っています。

――「がん検診をしてみよう」というきっかけにもなりそうです。

 僕も何も体に異常がない状態で、今の奥さんにふと「1回くらい健康診断受けた方がいいんじゃない?」って言われてがんが見つかったので、この本もそうしたきっかけになってほしいですよね。2016年、がんになったことを『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)で公表したのですが、放送後、芸人30人くらいから“僕が行った病院を教えてほしい”って連絡があったんですよ。だから、いま、その人たちが健康でいられるのは僕のおかげです。

――(笑)。どういう方々に紹介したんですか?

 最初に連絡がきたのが、NON STYLEの井上裕介さん。そのほかにも、番組に出られていたオードリーの若林正恭さん、平成ノブシコブシ・吉村崇さん、あとピース・又吉直樹さんなど、いろんな方に教えましたね。

――腎臓がんが見つかった経緯を教えてください。

 今の奥さんに妊娠が分かったとき、サプライズでプロポーズをするために、温泉旅行に行ったんですよ。奥さんは指輪じゃなくて高級バッグがいいと言っていたので、内緒で買って、お風呂から上がったところでプロポーズしようと思っていて。

 準備を整えて温泉に入った奥さんを待っていたら、健康診断をしてくれた知り合いのお医者さんから『結果が出ました。今度来るときは、マネージャーさんとご両親を連れてきてください』ってLINEがきたんです。“どういうことだ”と思って電話で確認したら「腎臓がんです」と。

 これから大事なプロポーズをするのに、なんで今なんだと。そのとき、神様はいないと思ったし、いたらぶん殴ってやろうって思いましたね(笑)。これから生まれてくる子どもに、もしがん細胞が遺伝したら……だったら“生まれてこない方がいいんじゃないか”、俺が死んで奥さんにバツがつくくらいなら結婚もしない方がいいんじゃないか、って落ち込みました。

 そうやって考えていると、彼女が温泉から戻ってきたので、健康診断の結果を伝えたら「お腹にいる子どもが見つけてくれたんじゃない。すごい天使だよね」って前向きな言葉を言ってくれて……。その言葉で“なんで子どもは生まれてこない方がいい”なんて思ったんだ、って反省しました。すごく救われましたね。

 その流れでふすまに隠してあったバッグを見せて、中に入っていた『結婚してください』って手紙を読んでもらいました。奥さんは泣き崩れたのですが「……(プロポーズは)今じゃない」って(笑)。情報が多すぎたんだと思います。

――(笑)。

 がん発覚後に生まれた長女「希天(きあ)」は「“希”望を与えてくれた“天”使」という意味で名付けました。まだ娘が幼いので、その説明をしても「?」の反応なんですよ(笑)。大きくなったらちゃんと伝えたいですね。

――病気発覚後から入院、退院まで、さまざまなことがあったと思いますが、奥様のそうしたポジティブな言葉で助かる部分もあったのですか?

 がん発覚直後、僕がどん底の顔をしていたから、“自分が強くなって救ってあげたい”って思ったらしいですね。当時奥さんは24歳。むちゃくちゃ強いですよ。

 ウチの奥さんも相方もすごく普通に接してくれたんですよ。やっぱり闘病中は自分が“がん”だということを忘れたいんです。奥さんと一緒にいても、がんのことを思い出さなかったのは、非常にありがたかったです。

――がんを告白した後、金田さんはどんな反応だったんですか?

 金田くんには、結婚、子どもが生まれる、がんになった、ってトリプルパンチを食らわせてしまったのですが、ちゃんと「え? え? え?」って3回反応していましたね(笑)。「結婚する、子ども生まれるは分かるけど、最後はなんだ?」って。でも「手術はした方がいい」って言ってくれました。

 ただ、検診も時期が大事で。僕は11月の上旬にがんが分かったんですけど、病院って、そのくらいから年末年始にかけてめっちゃ混むんですよ。だから手術どころか、検査も受けられない状態でした。みんな年越し前に体をキレイにしたいっていう思いがあるんでしょうね。そういう豆知識のようなことも本に少し書いてあります。

――闘病後、がんだったことをテレビで公表されましたが、事前に周りの方には伝えていたんですか?

 いやほとんど言っていなかったですね。地元の友人、金田、マネージャー、吉本の役員クラスの方しか知らなかったです。あと仲いい先輩には伝えました。次長課長・河本準一さんと、宮迫博之さん。宮迫さんはセカンドオピニオンを勧めていただき、公表しない方がいいとアドバイスしてくださいました。河本さんはめっちゃ号泣してくださいましたね。

――闘病していたとき、印象的だった出来事は?

 入院していた時期、奥さんが朝から晩まで世話をしてくれたので、長い時間一緒にいられたんですよ。それまでは、仕事で家を空けることが多かったのに、一緒にいられる時間が長かったので、奥さんの中では「よかった」って思ってくれたらしくて。今だったら「一緒にいたくねーわ!」って言われるかもしれないですけど(笑)。

 あと、今までの人生で、入院していたときが一番笑っていましたね。腹を12センチくらい切ったので、微妙に動いても痛いんですよ。「安静にしていてください」って言われているのに、ちょっとしたことが面白くて……。ウチの両親が見舞いに来たんですけど、そのとき熱が39度出てしんどい時期だったのに、眼鏡を探している父親の頭の上に、眼鏡がかかっているだけで面白くて。「そこにあんじゃねーかよ。イテテ」みたいな。そうした積み重ねもあって、(菜月さんと)2人でよく笑っていました。

――2人の関係を見つめ直す時期でもあったのですね。がん公表後、生活や仕事に変化はありましたか?

 180度変わりましたね。それまでは、すごく健康体で病院に行く機会がない中、急にがんになったので、“明日何が起きるのか分からない”と思うようになりました。それから悔いが残らないように、資格をいっぱい取ったり、出汁の勉強をしたり……。いろいろやりすぎて、たまに「死に急いでない?」って言われることがあります(笑)。

――がんになったことで、保険や病気のことなどたくさん勉強されたと思います。特に驚いたことは?

 がんになる前、友達から「保険に入った方がいい」って言われていたんですけど、当時32歳というのもあったし、お金ももったいなくて入らなかったんですよ。でも、いざがんになると、思った以上に入院費がかかったり、5年保険に入れなかったり。ほかにも、入れたとしても等級が高く、5年過ぎたとしても普通の人より高い、と保険関係のことはいろいろ驚きましたね。

――そうした細かい情報や川島さんが体験して感じたことが、本書に書かれているんですね。

 そうですね。僕なりの意見をまとめたので、参考になったらうれしいです。今、がんは2人に1人がなってしまうと言われている病気ですが、がん=死ではないし、周りの方ががんになってしまう場合もある。この本が、そうした方々の助け舟になればなと。

 “めちゃくちゃ笑えます”とは言えないですが、ちょっと面白おかしく書いているつもりなので、読みやすいとは思います(笑)。まずは、みなさん、健康診断に行ってください!

(取材・文:浜瀬将樹)

『はんにゃ川島のお笑いがんサバイバー』
定価:1,400円+税
発売日:2022年2月18日
発行:扶桑社刊

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