1984年11月、都内の中学校に通う13歳の少女が、自宅のマンションから飛び降り自殺する事件があった。
遺書もなく、自殺の原因は長らく不明であったが、当時相次ぐ少年犯罪を専門に捜査していた地元警察署の「いじめ特別補導班」は、少女の通っていた中学校で日常的にいじめ行為があり、少女も被害者だったことが明らかになったのだ。
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この中学校の一部のクラスでは、完全に風紀が乱れており、いじめ特別補導班によると、まるで「暴力団そのもの」であったという。
各学級のうち、30人の生徒がいるクラスでは6人の幹部がクラス内を牛耳っており、「幹部」以外の生徒は男女関係なく全員「舎弟」と呼んでいたという。
さらに幹部生徒には朝、必ず敬語であいさつすることが義務付けられ、他のクラスや他学校の生徒と連絡を取り合うことは禁じられていた。また幹部の命令は絶対で、授業の合間に買い物へ行かせたり金品を奪うこともあったという。
また、粗相があった場合、幹部たちは直接手を下さずに「タイマンを張らせる」といい、生徒同士でけんかをさせて証拠を残さないようにしていたという。
自殺した少女は、舎弟のひとりであり、この幹部たちから目をつけられ自殺したようだ。
学校側も風紀が乱れていることは分かっていたが、教師や生徒会が注意、説教することもなく問題を放置していたことが分かった。
1980年代は、少年の不良グループ化が社会問題としてクローズアップされていたが、このように暴力団さながらのシステムを取り入れ、クラス全体を共犯者にしてしまう不良化は当時の大人を驚かせたという。