矢部は、1990年に岡村とナインティナインを結成。1991年、吉本興業の若手コンビで構成されたユニット「吉本印天然素材」に加わり東京へ進出する。1994年、ユニット脱退後は活動の拠点を東京に移し、お笑い界の頂点に上り詰めた。私生活では2013年3月、フリーアナウンサーの青木裕子と結婚。2014年3月に長男、2016年1月に次男が誕生した。
>>宮迫博之、“オフホワイト不倫”の前にも不倫騒動 恐妻キャラでごまかされた?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】<<
「2人は、2005年放送のTBS特番『DOORS』での共演がきっかけとなり2010年8月に熱愛が発覚。かつての矢部は、自身の壮絶な生い立ちから結婚に興味を示さず、女性関係は派手な方でした。2013年8月放送の『もてもてナインティナイン』(TBS系)にVTR出演した青木は矢部の“女グセ”について、『こんなに(浮気)してないなんて、すごいって言うんです』という矢部の態度にイラついていると告白。さらに青木は、『まだ(結婚して)1年も経ってないのに。すごいと思っているうちは、その病気は治っていない』と矢部の“勘違い”を指摘し、『それが普通のことになった時、初めて完治ですって言ってるんです。そうですよね、まだ治療中です』と矢部の浮気を勘ぐっていたのです。とはいっても、『でも100点ですよ。矢部さん以上の人はいないと思います。寝て起きて、すぐカッコいいので』と最後はノロけていました」(芸能ライター)
だが、皮肉にも“妻の勘”は的中したようだ。
2014年12月、青木はフォトブック『母、妻、ときどき青木裕子』(講談社)を出版。同月、都内で出版記念イベントを開催した青木は、自身の妊娠中に矢部が“女性問題”を起こしていたことを暴露したのだ。
書籍の中で、青木は矢部との大げんかの末に“家を出た”とつづっているが、その一部始終を問われた青木は「主人は息子が生まれるまで結構チャラチャラしていて」と矢部の“病気”を語り始めた。その結果、「女性問題が発覚して、私は家出しました」と激白。青木によれば、矢部が謝罪したことで解決に至り、その後も時折けんかはするものの、家出に及ぶまでの“トラブル”には発展していないという。
「青木は同年3月に長男を出産して以来、初の公の場。幸せの絶頂の最中に“ドロ沼”を繰り広げていたと分かり、報道陣をあ然とさせました。青木は、相手女性についての詳細こそ語らなかったものの、矢部は長男の誕生がきっかけで父として成長したことを明かし、そのイクメンぶりを『100点です』と大絶賛するまでに。なんだかんだ言って、“幸せオーラ”全開で円満ぶりをアピール。夫婦の危機を乗り越えたといわんがばかりの余裕がうかがえました」(前出・同)
それからというもの、矢部の“女性トラブル”はないとみられる。
2020年11月、女性ファッション誌『VERY』(光文社)に矢部家がそろって登場。夫婦でのメディア登場は約5年ぶりとなり、夫妻の2ショットや初公開となる家族全員の写真が公開された。誌面では、少々照れくささも見られるが夫妻は最高の笑顔を披露。どうやら、幸せな家庭を築き上げたようだ。