また番組の最後、宮迫が締めで相方にドロップキックをお見舞いする直前、「蛍原さん、(コンビの活動期間が)33年かな…」と感謝の言葉を伝えようとしたのだが、即座に蛍原から「(さんじゅう)2年です」と訂正されることに。さらに蛍原は「すっっごい、そういうとこよ…。すっごいの。すっごいそういうとこなの! 1番大切なとこ!」と嘆き、無念さを滲ませる姿も話題となった。
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そんな蛍原と言えば、オカッパ頭で温厚なイメージもあるが、2016年の『日刊大衆』(双葉社)では、一部で囁かれているという蛍原の武勇伝について伝えている。それは過去、蛍原が千原ジュニアや月亭方正(当時は山崎邦正)と飲みに行った時のこと。記事によるとある日、3人が飲み屋を出て道を歩いていると、態度の悪い若者たちがやってきて方正に絡み出したそう。そのため3人は急いでタクシーに乗ったそうだが、蛍原はそこで「忘れ物があるから先に行っていい」とだけ言い残し、1人で車を降りたそう。
だがジュニアは、蛍原のことがどうしても気になり引き返すと、そこには鬼のような形相をした蛍原と、必死に謝っている若者たちの姿があったとのこと。ここまで蛍原がマジギレしたのは、若者の言い放った「山崎なんて死んだ方がマシ」という暴言が原因だったのだとか。彼は仲間に向けられたその言葉がどうしても許せなくなり、1人で車を飛び出し、若者に謝罪を求めたようだ。
今回の解散報告会にて、宮迫の行動に対する複雑な思いや、コンビで担当していた番組をすべて降板しようとも考えていたと明かした蛍原。彼の中にある熱い男気は、今も変わらないようだ。