そもそも平野はジャニーズJr.時代から、故・ジャニー喜多川元社長のスペシャルお気に入りとして知られていた。小学生でダンスを始め、地元の愛知・名古屋の芸能事務所に所属。ローカル男性アイドルグループのBOYS AND MEN(略称・ボイメン)の前身プロジェクトから参加した。脱退後、ジャニーズ事務所に“転身”。関西ジャニーズJr.のトリオユニット・Kin Kanに参加して、向井康二(Snow Man)と金内柊真(引退)で、関西のジュニアシーンを盛り上げた。
>>キンプリ・平野との人気の格差を思い知らされたジャニーズの若手勢、期待はずれだった?<<
ジャニーズ入りしたきっかけは、オーディションではなく紹介とスカウトだ。キーマンとなったのは、元ジャニーズアイドルだ。
「78年に活動を始めたバックダンサーグループ『ジャPAニーズ』の元メンバー・ボビー吉野さんです。ジャPAニーズは活動期間が5年ほどで、メジャーデビューに至らず解散しましたが、トシちゃん(田原俊彦)のバックダンサーとして有名でした。吉野さんはアイドルを辞めた後、米国修業を積んで振付師に転向。少年隊や男闘呼組、光GENJIやSMAP、以降も多くのグループのレッスン、コンサート、CDやCMなどに携わりました」(古参のアイドル雑誌・ライター)
ボビー氏が経営するダンススタジオのレッスン生が、平野だった。スクールのダンス合宿が東京で行われた時、同氏が平野をジャニー氏に紹介。Jr.として即決された。「YOU、来ちゃいなよ」という“迷言”が合格通知だった。
ジャニー氏は平野に将来性を見い出し、入所わずか2か月後にアメリカ旅行に同行させた。大先輩ですでにデビューしていたSexy Zoneと一緒だった。若いうちに米国本場のエンターテインメントに触れさせるのは、ジャニー氏が一貫してきた教育法。お眼鏡にかなうのはひと握りだが、平野は15歳でその難関を突破した。
「歌が嫌いだった平野さんを、いい方向に導いてくれたのもジャニーさんでした。『YOUの声は魅力があって人を惹きつける』と言ってもらったことで、幼いころからのコンプレックスだった声を克服できたそうです」(前出・雑誌ライター)
愛されキャラが揃うキンプリ5人の中でも、平野はアイコンのような存在。ジャニー氏が絶賛したハスキーボイスは、今では誇るべきセールスポイントとなっている。
(伊藤由華)