特に酒の飲み方をあまり知らない大学生などは、トラブルを起こすことが少なくなく新聞沙汰になることもしばしばである。
1959(昭和34)年11月、東京都内の某大学でアメリカ人の文学部教授・ペリー氏(当時52歳)が学生に殴られ死亡するという事件が起きた。
ペリー教授は11月のある日の夜、大学から自宅に帰宅する際、2人の若い男性が酒に酔って大暴れしている姿を目撃した。
2人の暴れ方は異常で、大声を出したりガラスを割ったりと、やりたい放題だった。見かねたペリー教授は「ここは大学の構内だ。あなたの身分証明書を見せてほしい」と接触したところ、1人の男性が馬乗りになってペリー教授を殴りつけた。
騒ぎを聞きつけた、別の大学講師がけんかの仲裁に入り引き離して教授を介抱。2人は警察に引き渡されることになった。
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ペリー教授は顔を殴られて血が出ていたが、傷は浅くアルコールでふき取りそのまま大学内の職員住宅に帰宅。ところが帰宅してから容体が急変し、ペリー教授は数時間後に脳内出血で死亡してしまった。殴った男性2人はこの大学の学生で、共に19歳。酒に酔って日頃の憂さを晴らしていたという。後に1人はもう1人を静止しようとしていたことが判明している。2人は自分たちがペリー教授を殺してしまったことに強いショックを受けたという。
ペリー教授の専門は東洋史で1951年に来日。以来、日本の大学で教鞭をとり、片言ながら日本語は話すことができた。熱心な親日家として学生にも人気が高かった。
大学関係者の多くがペリー教授の死を悲しんだが後日、仲裁に入った講師によると介抱された際には、自分の怪我よりも暴行を加えた学生2人のことを心配しており「あの若い2人には未来がある。頼むから処罰しないでくれ」と懇願していたという。
殺された被害者が加害者の将来を守ろうと懇願するパターンは珍しい。その後、2人がどのような人生を歩んだのかは明らかになっていない。