KEIKOは、小室氏が主宰するイベント「EUROGROOVE NIGHT」内で開催されたオーディションへの出場がきっかけとなり1995年8月、globeのヴォーカルとしてシングル「Feel Like dance」でデビュー。またたく間にスターへの階段を上り、96年1月発売の「DEPARTURES」はダブルミリオンを記録し、同年10月の「Can't Stop Fallin' in Love」、97年1月の「FACE」など多数のメガヒットシングルを放った。また、96年3月のデビューアルバム「globe」は400万枚をセールス。98年には日本レコード大賞を受賞するなど小室ファミリーの一時代を築き上げた。
小室氏と出会ったKEIKOは人生が大きく変わったことだろう。そんなKEIKOは1999年5月にゆず・北川悠仁との熱愛を『FRIDAY』(講談社)にキャッチされている。同誌は、KEIKO(当時26歳)が北川(当時22歳)のマンションに泊まった翌日に自転車でスーパーに向かう姿を掲載。同日にglobeのライブを終えたKEIKOは神奈川・横浜のホテルで1泊すると、翌日も2人で北川のマンションで過ごしたという。記事では「濃密な3泊4日」だったと伝えている。
>>山口紗弥加、堂本剛を実家に紹介済み? 破局はともさかりえとの三角関係が原因か【芸能界、別れた二人の真相】<<
「2人は1998年から1年ほど共演した音楽専門チャンネル・スペースシャワーTV『電リク野郎ELVIS』がきっかけとなり交際に発展したよう。報道を受け、お互いの事務所は交際を認めるコメントを発表し、それぞれの両親にも紹介済みだったとか。また、01年には米・ハワイで再び同誌にキャッチされ、globeのハワイレコーディングに北川も同行していたよう。周囲からは結婚も間近といわれていたといいます」(芸能ライター)
ところが2002年3月、2人は破局に至った。
「一部では、新興宗教の教祖である北川の母親が結婚に猛反対し、破局せざるを得なかったと報じています。北川との結婚を本気で考えていたKEIKOは深い傷を負ったものの、同年同月に前妻・吉田麻美と離婚したばかりの小室氏がKEIKOを支え、およそ7カ月後にスピード結婚。一部では小室氏の早すぎる再々婚に“略奪婚”を疑う声も上がりました」(前出・同)
そして北川は2011年10月に、元フジテレビのアナウンサー・高島彩との結婚を発表。くしくもその4日後にKEIKOはくも膜下出血で倒れた。
夫・小室氏の詐欺容疑による逮捕など夫婦で苦境を乗り越えてきたKEIKOだが、その夫はKEIKOの介護を放棄していたと2018年7月発売の同誌が報じている。
大失恋から救ってくれた小室氏はもういない。なんとも切ない結果だが、独身になったKEIKOの復帰に期待したいものだ。