工藤というと1984年、中学2年生のときに『ミス・セブンティーンコンテスト』への出場がきっかけで芸能界入り。「セブンティーン・クラブ」を経て「おニャン子クラブ」のメンバーに。87年8月、同グループの解散と同日にシングル『禁断のテレパシー』でソロデビュー。以降、90年代後半にかけてヒット曲を連発し、アイドルを代表する“女性アイドル四天王”の1人として時代の象徴となった。
今では木村の妻で、2人の娘をプロデュースする偉大な母親というイメージが強いが、かつては“恋多き女”として知られていた。
なかでも、X JAPAN・YOSHIKIとの熱愛はマスコミを騒がせた。工藤とYOSHIKIの交際が発覚したのは、1994年3月のYOSHIKIの逮捕がきっかけ。スクープした『FRIDAY』(講談社)によると、YOSHIKIは米・ロサンゼルスで飲酒運転及びスピード違反の容疑で現行犯逮捕され、助手席に同乗していたのが工藤だったことが判明した。
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さらに、逮捕前の2人のアツアツぶりもスッパ抜かれた。人目もはばからずベタベタしまくり、見かねた店員から注意を受けるほどだったという。
思わぬ形で交際が公になったビッグカップル。YOSHIKIは工藤との交際を認め、工藤は長期休暇を使ってYOSHIKIの元へ旅立ち2カ月間ほどの同棲生活を送っていたという。交際は順調で工藤の誕生日にはYOSHIKIが婚約指輪を贈り、いつも工藤の左手薬指にはそのリングが輝いていたという。だが、同年の夏過ぎには不仲説や破局説が浮上した。
ところが同年10月、一部週刊誌が2人の破局を報じると、工藤はマスコミ各社に直筆の“反論FAX”を送りつけ、破局を一蹴。これには工藤の策略があり、別の女性の影に気づいた工藤が「私の男に手を出すなよ」と、威嚇の意味を込めたと一部で報じられている。
そして、同年末の『NHK紅白歌合戦』の第2部に2人が登場し、それぞれ最終組のトリを務め対決。順調な交際ぶりを見せつけ、結婚は秒読みとささやかれた。
だが1996年1月、工藤が「彼とはもう会っていない」と突然の破局宣言をしたのである。
「その数カ月前に、YOSHIKIと外国人女性の浮気写真が一部で報じられ、結果的にこの報道が破局の原因といわれたのです。工藤は交際前から『浮気したら別れる』と宣告していたよう。工藤は、交際中YOSHIKIと同様の金髪ロングヘアが印象的でしたが、破局後は髪を黒に染め上げ、決別を強調。これに世間は驚がくしました」(芸能ライター)
破局後、2人は接点がなかったとされていたが、2000年11月に工藤がリリースした35枚目のシングル『深紅の花』をYOSHIKIがプロデュース。当時、木村と交際中だった工藤に対してあらゆる憶測が流れたが、同年12月に工藤は木村との結婚と第一子(Cocomi)の妊娠を発表した。
2019年5月、工藤は自身のインスタグラムで同曲を熱唱する動画をアップ。「大好きな名曲」とコメントすると、ネット上では過去の熱愛を“匂わせ”ていると話題を集めた。
完全にYOSHIKIに染まっていた工藤も木村と出会い外見から趣味までガラリと変わった。一部ではSMAP解散の元凶とも報じられた工藤。影響されるだけでなく、影響力も絶大のようだ。