貴乃花といえば、言わずと知れた「平成の大横綱」。1988年、藤島部屋に入門し、94年、22歳の若さで第65代横綱に昇進。数多くの偉業を成し遂げ03年に現役を引退する。現役時代の功績をもとに一代年寄が与えられ貴乃花部屋の親方になると、日本相撲協会の理事を務めた。18年10月、日本相撲協会を退職し、19年に一般社団法人貴乃花道場を設立。相撲の普及活動に力を注いでいる。
相撲道一筋の貴乃花だが、かつては恋愛の話題で世間を騒がせていた時期もあった。
1992年11月、当時20歳の貴乃花(当時貴花田)は1歳年下のタレント・宮沢りえ(当時19歳)との婚約を発表。“若貴ブーム”全盛期で、史上最年少での大関昇進を目前にした貴乃花と10代でヘアヌード写真集『Santa Fe』(朝日出版社)がベストセラーとなり、アイドルとして人気絶頂の宮沢との婚約に、世間は“世紀の結婚”と祝福した。
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「会見に登場した2人は幸せいっぱいの笑顔で手をつなぎ、1993年5月の挙式を発表したのです。ところが、92年暮れ頃から2人の破局情報がくすぶり始め、93年初場所を終えた1月、婚約解消が決定したのです」(芸能ライター)
宮沢は単独記者会見を行い、貴乃花とは「強い横綱になってください」と最後の言葉を交わし、婚約指輪を返却したと明かした。一方の貴乃花も同日、取材に応じ「自分の愛情がなくなりました」ときっぱり。一部の記者から「横綱を狙う者の品格としていかがなものか」と容赦のないヤジが飛び交う中、破局に至った原因は「自分の力のなさ」と強調した。
この突然の破局には、方々で物議を醸した。
「破局の背景には、それぞれの家庭の事情があったとも。宮沢が力士の妻になることは、将来のおかみとしてただちに修業を始めることを意味し、芸能界引退は免れられない。これに“一卵性母子”と呼ばれ宮沢をのし上げた母で事務所代表の故・宮沢光子さんが大反対だったんだとか。結局は結婚後の活動方針を巡る両家の認識の差から、親同士の間に溝を作っていったといいます」(芸能関係者)
だが、破談の代償は宮沢の心に重くのしかかった。
「貴乃花は横綱へ昇進した1995年5月に河野とデキ婚。同年9月に花田が誕生し、家庭を築きました。一方の宮沢は、自殺未遂や歌舞伎俳優の故・中村勘三郎さん(当時勘九郎)との不倫疑惑が報じられ、その後は拒食症の噂も。96年には米・サンディエゴへの移住を発表。一時期は芸能活動休止状態にもなるほど、当時は明暗が分かれたのです」(前出・同)
2018年1月放送の『怪傑えみちゃんねる』(フジテレビ系)に貴乃花の兄・花田虎上が出演。2人の破局騒動に触れた虎上は、「(貴乃花が)全部しょった(背負った)んですよ、彼。私はそう思ってます」と弟を“かばう”一幕も。だが、多くを語らず、「2人ともかわいそう」とだけ繰り返し、破局の真相は闇の中だ。
同年10月、貴乃花は河野との離婚を発表。宮沢は2009年に日本人実業家と結婚し、同年5月に長女を出産するも16年3月に離婚、18年3月にV6の森田剛と再婚している。“世紀の結婚会見”から28年がたち、ともに波乱万丈の人生を歩んでいるようだ。